あれから4年 忘れてはならないもの

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 あの日からとうとう4年が過ぎました。長かったようでもあり、あっと言う間だったようにも感じます。先日、NHKで被災地の方々は大震災に関する世間の関心は風化していると思う方が約80%に上るとのアンケート結果を放送していました。

 確かにマスコミの取り扱い、被災地に来るボランティアの皆さん、復興予算、どれも右肩下がりであることは事実です。でもそれは、直後の壊滅的な状態から徐々にやらねばならないことも絞り込まれてきているからでもあります。実際、被災地で働く自分でさえも、あの時の悲惨さを思い出すことが減ってきています。ただ、教訓の風化だけは防がなければならず、「災害は忘れた頃にやってくる。」で済ませてはなりません。


 被災地でも神社仏閣はそのほとんどが津波の被災がありませんでした。それは史実に忠実に従い、過去の津波の到達高度より高い所に建てられているからです。震災命日のこの日は残すべき教訓を思い起こし、その風化を食い止める日にしたいと思います。




 気仙沼も地盤の嵩上げが着々と進んでいます。
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 嵩上げした高台には居住地が造成されますが、地盤沈下した元の土地では人々の生産活動は始まっています。防潮堤が整備されてもどこからかは海水が侵入してくることでしょう。そのためには。。。




 とにかく逃げることです。津波から離れようとするのではなく高いところに登ることです。
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 その際に重要な指標となるのが、これらのような浸水ライン表示です。できることなら今回の津波が到達したエリアの全ての電信柱にマークを付けたいところです。50cmの津波でも瓦礫と共に物凄い圧力で迫ってきますので、人間などひとたまりもありません。



 日々の蓄えも忘れてはなりません。自宅避難者は食料支給がありませんし、ライフラインが途切れた中で生きて行かねばなりません。避難所に食料を分けてもらいに行って追い返された自宅避難者もおりました。
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人の生活には衣食住は欠かせませんが、がなければ話になりません。以下は津波の被災はなかった自宅避難の場合の対応です。

【水】
 沿岸部では水道の復旧に1ヶ月くらいかかりました。日頃の飲料水の買い置きは家族の人数にもよりますが、2リットルペットボトルで1箱(6本)は欲しいところです。ほどなく自治体や自衛隊の飲料水の配給が始まりますが、一人暮らしで働いている場合は、なかなか取りに行けません。ご近所にお願いするか、休日にまとめて配給を受けるかですが、一人当たりの配給限度もあります。

 水洗トイレの水は、庭の溜め升や海、川の水も使いました。寒かったので汗をかくことはありませんでしたが、風呂は2週間くらいお預けでしたが、水道の復旧前に被災しなかった親戚の家で一度世話になりました。日頃はタオルで体を拭くことになります。ウエットティッシュも買い置きがあると快適です。

 
【光】
 コウモリではないので夜間の生活には明かりが必要です。家庭によくあるライトは大体が単一電池のものです。そのため、単一応電池は被災地以外でもすぐに売り切れになります。あまり普及していない単二電池のライトは助かりました。しかもラジオ付きだったので情報も取れました。手動発電式のライトもあると便利です。夜間トイレに行く時はこれで十分です。食事の時のテーブルライトはロウソクが便利でした。マッチやライターとともに1箱は常備しておきましょう。

【熱】
 寒い時期は温かいものが食べたくなります。それにより精神的にも楽になります。どの家庭にもある卓上カートリッジ式ガスコンロボンベは瞬時に売り切れます。震災から2週間後に義父が亡くなり、ガソリンを掻き集めて上京したのですが、東京でもガスボンベは売り切れ状態でした。日頃から6本は常備して常に買い足していく必要があります。我が家は幸い物置にキャンプ用のガスバーナーがあったので助かりましたが、こちらのガスもやがては売り切れました。

【食】
 被災から4・5日もしますとスーパーや小売店は一部の商品を店外に並べ短時間営業を開始します。行列ができるので一人当たり数品限定でした。ただ、電気がまだ復旧していないので日中だけの営業で、一人暮らしの勤め人はなかなか利用できませんでした。水の配給と同じく休日にまとめて買うしかありません。

 冷蔵庫の食品も悪くなりやすいものから食べていきます。冷凍庫は貴重な保管庫ですので、解けたものから利用していきます。発災から1週間はこれらの食料に助けられています。ただ、夏だったら2~3日も持たなかったでしょうね。

 東北自動車道が通行可能となると物流が速やかになり、宅配便も営業を開始します。介護で実家に帰っていた家内や親戚、恩師、海外の友人からも支援の食料などが送り届けられ、日頃より食料に満ち溢れるようになりました。



 電気は発災から10日ほで復旧しました。これは嬉しかったですね。明かりだけではなく料理もガスの残量を気にしなくて済みます。
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 炊飯器はご飯を炊くためではなく、湯沸かし器として重宝しました。湯を沸かしたら小鍋ですくってポットに貯めます。これで温かいタオルで体が拭けるようになりました。頭も洗うことが出来ました。ホットプレートは危険ですが、プレートを外して、熱源の上に直接フライパンや鍋を置いて、同時調理を行っていました。

 電気は来ても、水道はまだまだ先になりますので、なるべく油を使わない料理にして、食後は食器をティッシュで拭き取っていました。臨海の下水処理場も壊滅していますのでなるべく汚水を減らす努力もしていました。全てのつけは海に行きますからね。



 熱源が確保されますと今まで我慢していたパスタが食べたくなります。パスタは茹で時間が長いのが難点です。
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 そんな時は水浸しパスタにしましょう。1時間ほど水に浸けておくだけで、茹で時間はなんと1分で済みます。



 もっと凄いのがこちら。水だけで戻り、すぐに食べられる草香麺です。水なら45分、お湯ですと8分で戻ります。
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 既に加熱してある乾燥麺ですから、茹でる必要がないのです。しかも、裸オート麦が主原料で栄養面でも優れています。今まで様々な麺料理を試しましたが、どの料理にもフィットしました。4袋(1袋200g)くらいは常備しておきたいですね。



 


 津波浸水エリアに隣接する我が家でしたが、ライフラインが完全復旧するまでに約1ヶ月がかかりました。復旧後に大きな余震があって、また、家の中の後片付けをやり直しになった時はさすがに心が折れました。
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 それでもやけにならず、コツコツと積み上げて行ったのでした。この割れたマグカップはキャンドルスタンドとして役に立ってくれました。毎晩一人で暗闇を生きた大切な友達です。4年経った今でも大切に飾ってあります。



 東日本大震災からはや4年。今年2015年は宮城県震災復興計画の再生期2年目です。あと2年で震災前のレベルに戻さなくてはなりません。被災地の嵩上げや高台の造成の進捗を見ていると少し遅れるのかなと思います。阪神淡路大震災からの復興とよく比較されますが、地盤沈下があり津波への対策など同じ土俵では比べることが出来ません。それでも土地の造成が終了すれば、建物が次々と建てられるでしょうから、目に見える復興になっていくと思われます。ただ、8万人もの仮設住宅暮らしの方々ももう限界でしょう。それを思うと、自宅避難者の震災直後の苦労なんて比較になりません。それはそれとしましても備えあれば憂いなし。日々の防災意識風化させることなく次の世代に受け継いで参りましょう。

2015/03/11(水) 05:00 | trackback(0) | comment(0)
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