(7)晋州名物 韓式鰻料理
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韓国にも有名な鰻料理があることを今回の旅行で初めて知りました。ただ、それは日本の蒲焼きとはかなり違っていましたが、たいそう美味しゅうございました。この鰻料理を頂いたのは釜山から100Kmほど西にある晋州という町です。人口33万人ほどの中都市で1000年以上の歴史がありますが、日本との悲しい関係もありました。
最初に晋州市(チンジュシ)の位置ですが、下図のように韓国の南東部慶尚南道の西部になります。
釜山からは有料道路を飛ばして1時間ちょいで着きました。晋州市の主要な産業はシルク、すなわち、養蚕業と絹加工業であり、 国内生産の80%を占めています。また、仙台のように学都としても有名で、6つの大学があって、人口の30%を学生が占めています。集積された知識を活かしてバイオ関連産業も盛んに行われています(晋州市HPより)。
晋州市の中央部には南江(ナムガン)が曲がりくねって流れ、潤いのある街となっています。
かつてはこの川で鰻もたくさん獲れたのでしょうね。水量豊かでゆったりと流れるその様は北上川を思い起こします。この南江は晋州市で海から6~7Kmの距離ですが、海岸と平行に東へ40Kmほど下り、韓国最長の河川洛東江に合流して釜山近くで海に流れ込みます。
南江の川辺にはかつて晋州城があり、豊臣秀吉が総司令官である日本軍との激しい攻防戦が繰り広げられました。ここは晋州城址、入り口の矗石門(チョクソルムン)を入ると中は公園になっています。
日本史を勉強した人なら文禄・慶長の役(朝鮮では壬辰倭乱)という戦争をまだ覚えていることと思います。織田信長の死後、天下を取った豊臣秀吉が次なる目標として明国制圧の野望を打ち立てました。水軍に自信のなかった日本軍は明までの進軍を朝鮮半島伝いに陸路で行うこととしましたが、明と君臣関係を結んでいる李氏朝鮮はこれを許すはずもなく、明軍の応援も得ながら徹底抗戦となりました。文禄2年、日本軍の2回目の攻撃で晋州城は陥落しましたが、立て籠もった軍民多数(6万数千と言われている)が全滅しています。
こちらは矗石楼(チョクソンヌ)です。戦闘時には将軍の指揮所として使われたそうです。現在の建物は1960年に復元されたものです。
晋州城址のシンボル的存在となってますが、高床式で風通しが良く、夏は涼むのに最適だとか。上記の戦闘で日本軍は城内の多くの建築物を焼き払ったそうですが、ここは残したらしく、連日連夜、落城の祝宴を開いたそうです。
この攻防戦の逸話として、朱論介(ジュ・ノンゲ)の義談が伝えられています。左は義妓祠に祀られている論介の肖像画です。有名な義岩の上では民族衣装姿の女性の撮影が行われていました(右)。
夫をこの攻防戦で亡くした論介は、復讐の機会を狙って妓生に紛れ、勝利の祝宴に紛れ込んだそうです。ある武将を左の写真の岩に誘い出し、武将が油断した隙に抱きついてともに河に身を投げて亡くなったという逸話です。暴れる武将から離れないように全部の指に指輪をしてがっちり手を組んだと言われています。肖像画にも10本の指に緑の指輪がはめられています(クリックで画像が拡大します)。
朝鮮王朝は夫の復讐を果たした論助の行動を義挙として称え、矗石楼の奥に義妓祠を建てて祀ったそうです。右の石舞台のような岩は、元は危岩と呼ばれていたそうですが、以来、義岩と称されるようになったそうです。論助は晋州市のシンボルであり、祭りも毎年開催され、緑の指輪を模した飾りが南江に架かる橋にも付けられていました。なんとも日本人には居づらい所に来てしまったようです。
ともあれ、お昼ですので晋州の名物、鰻料理を頂きたいと思います。南江沿いには鰻料理のレストランが何軒か並んでいます。
現在は韓国でもウナギ養殖が盛んで、中国、台湾、日本に次いで第4位の生産を上げています。また、近年、韓国でも健康食ブームでウナギが注目されており、消費も伸びているそうで、日本に次いで世界第2位の消費大国となってます。
今、気付いたのですが、右のメニューも上にアニメキャラのような女子が写ってますが、これが晋州市のシンボル義妓論介です。そういえば、色々なところで見かけました。
料理をお願いしますと、ご多分に漏れずこのような前菜が並べられてしまいます。嬉しいですけど。^^ それらに、サンチュ(かきちしゃ)とケンニッ(えごま)の葉、手前には一緒に巻き込むニンニクのスライスと青唐辛子のブツ切り、ヤンニョン(合わせ唐辛子味噌)が用意されます。
真ん中の前菜は日本でも有名な春雨の炒め物チャプチェですね。その周りに大根の千枚漬け風、茎ワカメの漬け物、ドングリのクルミ豆腐風、そして・・・・
これですが、何だかわかりますか。釣り好きの方ならわかるかも知れませんね。そうです。蚕の蛹(さなぎ)、韓国ではポンテギと言います。
晋州市は養蚕業が盛んだと前述しましたが、絹糸を取ったあとの蛹を煮た物です。気になるお味ですが、文字ではとても表現できません。私は子供の頃、フナやクチボソ(モツゴ)を釣るのが好きだったので、さなぎ粉と小麦粉の練り餌をよく作っていました。その匂いが今でもしっかり脳裏に残っているのですが、まさにその風味。
世界の食べ物に決して先入観や偏見を持たず、なんでも美味しく頂けるのが私の取り得なんですが、さすがにこれは1個を飲み込むのがやっとでしたよ。
さて、気を取り直して、メインディッシュの韓国式鰻の焼き物です。
一方は日本の蒲焼き風ですが、手前はコチュジャンベースのタレで真っ赤ですね。^^ ステーキ風に熱した鉄板に乗せられています。しかも鰻の下には炒めた玉葱が・・・。和洋韓折衷の複雑な料理です。
こちらは日本の蒲焼き風の鰻です。味醂醤油のような甘辛いタレがかけてあります。
この調理法は日本から伝わっただと思います。でも、関東風に蒸しを入れてないので、ふわっとトロリではなく、しっかりした歯応えがあります。
このコチュジャンの下にも焼いた鰻が埋もれています。
韓国の方にはこのコチュジャンがなくてはならないのでしょうね。このようなコチュジャンベースのタレや和え衣を使った料理がどこのお店でも必ず出てきましたね。蒸さない硬めの鰻にはこの食べ方もよく合いますが・・・。
そして、これも韓国料理の特徴の一つであるサンチュとエゴマの葉、焼き肉だけではなく、刺身や鰻もこれで包みます。日本で見かけるサンチュより、サニーレタスのように赤褐色です。
エゴマは日本ではじゅうねんと呼ばれ、福島県などでは盛んに栽培されていますが、もっぱら種の利用が主体ですね。このように葉を利用することは余りありません。紫蘇と近縁なのですが、葉の香りが日本人には少し抵抗があるようです。
こんな感じで巻き巻きして食べていきます。
この食べ方は野菜がたくさん食べられるので健康には良いのですが、鰻を純粋に楽しみたい日本人には勿体なく感じるかも知れませんね。
ここでご飯が出されます。このような金属の器なので熱くて持つことができません。ご飯にはまた、おかず(キムチやナムル)が色々出されます。味噌汁は煮干しのダシが利いて、具はワカメ。日本とまるで同じ。
韓国では欧米のように器を持って食べることがマナーに反します。ですから、日本人には辛いのです。味噌汁もスプーンで飲みます。ですから、韓国式にご飯を食べますとどうしても頭が下がって姿勢が乱れます。
最後にデザートとして出された不思議な液体。
日本語のわかる店員さんは甘酒と訳していましたが、日本の甘酒とは全く別物です。詳しく聞き出したところ、蒸した黒米に麹を加えて発酵させ、甘味が出たら氷水で薄めて飲むそうです。確かに甘酒と同じ製法ですが、味わいはスッキリ爽やかで食後にピッタリでした。
日本との悲しい歴史のある晋州市では色々考えさせられました。両国間にあった歴史的事実は否定できませんが、怨みが明るい将来を築くとは思えません。ちょうど、この記事を書いている頃、韓国では伊藤博文を暗殺した安重根(アン・ジュングン)を讃える国家的イベントが開催されたとのニュースが流れていました。
韓国の皆様の日本に対する積年の思いはよく理解できるつもりです。ただ、それを継承する限り、怨みもまた続いていくことでしょう。今回の訪韓では韓国の方々と親密にお付き合いさせて頂きました。このような地道なお付き合いが両国の友好に少しでも役立てばと心から思っております。

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