我が家の愛犬は海苔が大好きです。器用にパリパリとよい音を立てて食べるのです。時々、喉に貼り付けてむせ返ることもあるのですが、治まるとすぐにお代わりをねだりに来ます。もちろん肉や魚も好きなのですが、海苔はおやつのような存在なのかも知れません。パリパリ感を楽しんでいるのか、風味を味わっているのかはわかりませんが、面白いのでめざましテレビのきょうのわんこに投稿しようかなとずっと思ってきました。海苔に続く好物は煮干しです。我が家はずっと朝の味噌汁のダシは煮干しですので、毎朝、ダシ殻を数本もらうのが日課なのです。よっぽどこれが好きなようで毎日欠かさず食べられるのに、飛び付いてきます。妻は毎朝、指を噛まれていました。
我が家の愛犬はLuckyラッキーと言います。雑種の雄ですが、臆病で番犬には向きません。
夜中に雷が鳴ったり、強い風がヒューヒュー鳴り響きますと、ヒーヒー泣き出します。 ^^ それに知らない人でも、よしよしと頭を撫ぜれば、すぐに懐きます。
ラッキーは1995(H7)年11月初旬、お隣の物置の下で産まれました。母親は柴系の雑種でしたが、産まれて間もないラッキーは黒くてまるで熊の子のようでした。
実はお隣では、雄のやはり柴系の雑種を飼っていたのですが、そこへ野良であったラッキーの母親が押しかけ女房的に住みつき、いつしか子犬を産んでしまったのです。ただ、父親が誰であったのかは、今でもわかっておりません。子犬は全部で3匹産まれました。とても可愛くて、近所の方々も毎日のように見に来ました。
うちの子供たちも、息子が2年生、娘が幼稚園の年小組で、突然、現れた縫いぐるみのような子犬達が可愛くて可愛くて、帰って来ると真っ先に見に行っておりました。お隣さんもこの子犬たちの飼い主になってくれる方を探しており、ひと月ほどの間に1匹、また、1匹と新しい飼い主が決まっていきました。
当然のことながら、子供達からは子犬を飼いたいとの強いリクエストがあったのですが、当時は家を新築してからまだ5年目で造園に精力を傾けていたこともあり、犬が植栽を荒らすことが気掛かりでした。それに自分自身、子供の頃に飼っていたコリー犬が満4歳を迎えずしてフィラリア病で亡くなってしまった辛い思い出もあり、頑なに拒んでいました。
半月ほど悩んでいたんですが、子供達の熱意とお隣さんが飼い主探しに苦労されていること、自分自身も子供の頃に犬と生活を共にして学んだこもとも多かったこと、そして、今でも自分も犬が大好きであったこともあり、少し早いクリスマスプレゼントとなりましたが、小さな首輪とリードを買って帰ったのでした。次の瞬間には子供達はそれらを持って、お隣さんちに駆け込んだのは言うまでもありません。
かくして、ラッキーは我が家の一員となりました。ラッキーという名前ですが、この年、1995年は年明けから阪神・淡路大震災や続いて地下鉄サリン事件が発生し、悲しいことが多かったので、少しでも世が幸せになるように願って命名しました。毎日、ラッキー、ラッキーって何回も口にしていれば、本当にラッキーになれるのではないかなと思ったのです。
子供たちにとっては兄弟が増えたのと同じです。そう、我が家に次男がやって来たのです。毎日、3人で転げまわりながら遊んでいました。
黒くてムクムクで懐に入る位の大きさだったラッキーは2ヶ月もしますと赤褐色の部分が多くなり、二回り大きくなりました。首の回りと手足の先が白いのはどこかでコリー犬の遺伝子が混じったのでしょうか。
4カ月も経過しますと、体格は娘と同じくらいになりました。顔の周りの鬣(たてがみ)がライオンのように見えます。
犬は社会性の動物で、自分の順位をわきまえます。この頃から、ラッキーは娘より上位だと認識し始めます。娘がちょっかいを出しますと本気で怒りますし、娘が叱られて泣いていますとそばに寄り添って慰めていました。眉が下がっていましたから、動物にも子供の泣き声の淋しさが伝わるのでしょう。
6カ月後には、小さなライオンのようになり、もの凄いパワーを見せつけます。
しゃがみ込んでいる妻を押し倒すことくらい軽くやってのけます。
生後9カ月でオートキャンプデビュー、秋田県の中央部、森吉町(現北秋田市)のキャンプ場へ。
森吉山へも全員落伍せず登頂できました。この頃のラッキーは眉の辺りがこち亀の両津勘吉のようにM字模様。ラッキー改めマッキーにしようかとも思ったりして。^^
海水浴にも連れて行きましたが、一面の砂浜に大感激。子供たちが砂掘りをしていますと、俺に任せろと全力で大穴を掘り上げます。
犬は走ることと穴を掘ることが天賦の才なんですよね。人間に飼われているとそれが発揮できなくてストレスが溜まっているのでしょう。たまには、思いっきり走らせて、好きなだけ穴を掘らせてあげたいものです。
生後1年を過ぎる頃より、反抗期に入ったのか、幼さが取れて少し不良っぽい容貌になりました。
眼つきが険しく、ジャッカルのような獰猛さも出てきました。
それも一時的で2歳を過ぎる頃から、精悍なイケメン風の顔立ちになってきます。
頬から下になびく鬣が凛々しく、勇者の風格も出てきました。この頃には、犬ではなく、もう、すっかり、家族の一員です。^^
5・6歳の頃には毛並みも豪華になり、尾っぽがカーニバルのようだとか、通りすがりの人にチャウチャウですかとかよく言われます。
チャウチャウはもっと顔が埋もれているでしょう。でも、多くの方に、何という犬種ですかと聞かれること数知れず。ちょっと嬉しかったりしましたが、そのたびにハイブリッドなんです・・・便利な言葉だ。^^ 下の写真のようにたまに左右の眼の開きに差が見られることがあります。そういえば、耳も片方が垂れていますね。
10歳に近づく頃より、表情に中年の丸みが出てきて、優しい感じになってきました。
顔も少しこけて、白っぽくなってきたようです。それまで、週末は必ず、裏山を小一時間かけて散歩していたのですが、暖かい季節に山を散歩をしますと、ダニが取り付きます。ダニはバベシア原虫を伝播し、感染症を引き起します。不幸にしてラッキーもバベシア原虫症に感染しますが、投薬と注射で完治します。しかし、加齢による衰えもあるのでしょうが、坂道を登るのが辛くなってきます。
14歳を過ぎる頃から、体力の衰えは顕著で、表情の変化も乏しくなってきます。
部屋の縁に沿って何回もグルグル回るようになり、そのうち、どこかの隙間に顔を突っ込んで身動きが取れなくなったりするようにもなりました。フローリングの部屋では摩擦が少ないので、自力で立ち上がれず、時々、四肢を広げたままうつ伏せでもがいていたりもしました。
それまではトイレの意思表示もあり、外で済ませていたのですが、所構わずの状況となり、ついにオムツをはいてもらうことになります。食欲はあるのですが、自分で四肢を突っ張って、食べることが出来なくなり、水の入った器を口に近づけたり、スプーンで食事を口に入れたりが必要になってきます。 散歩はゆっくりですが可能です。ただ、僅かな傾斜の坂でも足が止まるので、この道には傾斜があるんだと気付かされることも。
今年に入り、大震災直前に妻は親の介護のためラッキーを連れて実家(東京)に帰りました。
震災を逃れたのは不幸中の幸いでしたが、衰えゆくラッキーの介護も背負うことになったのです。大震災後には老化も著しく、日中、寝ている時間が多くなり、その分、夜中に起きて立たせろと吠えるそうです。そのため、妻は睡眠不足となり、精神的にも肉体的にもかなり憔悴してしいました。
私は状況によっては尊厳死も選択肢に入れるよう伝えました。でもある時、あまり夜中に吠えるので、妻は我慢できず、リードでラッキーを叩いたそうです。運悪く顔に当たったそうですが、ラッキーは表情のない顔でただじっと見つめているだけでした。それを見た時、底知れぬ憐みが溢れ、最後まで見届けることを決めたそうです。
そして、、、、
7月29日、朝から体調が悪化し、11時44分息を引き取りました。(妻撮影)
病院にも連れて行き、治療をされて戻った矢先のことだったそうです。特に苦しむ様子もなく、15歳と9カ月の命が終焉を迎えました。外見もまだ若く、とても老衰で逝ったとは思えず、風邪などの感染症が死期を早めたのかも知れません。本日(31日)、府中の火葬場で荼毘に付されて骨となり、来月中に妻と生まれ故郷の宮城に戻ってくる予定です。遠く離れた私は参列できませんでしたが、妻や息子娘が見守ってくれたのでラッキーも心強かったことでしょう。 この記事はラッキーの火葬が終わる7月31日午前11時にアップします。
ほぼ16年の命は、犬にとっては長い方かも知れません。その大部分を我が家の子育て支援に費やしてくれました。 大震災の年に生まれ、大震災の今年に帰って行ったラッキー。その間にたくさんの幸せをくれました。
犬を飼うということは、子犬の時の可愛さだけではなく、老いてからの介護も不可欠であることを認識しなければなりません。ラッキーは本当に良い性格の犬でした。衰えてからも家族に癒しを与えてくれましたし、私たちも生涯忘れることはないでしょう。
ラッキー、今まで本当にありがとう。
ラッキーの写真を一日かけて整理しましたが、それは家族の歴史そのものであることを実感しました。子供たちが幼い頃から巣立っていくまでを家族の一員として支えてくれたのですから。末期は妻の負担が大きかったものの、それはそれまでのラッキーへの恩返しと思ってくれるでしょう。犬は素晴らしい仲間です。でも、もう、飼うことはないでしょう。次は愛犬の最期を見届ける前にこちらが先に逝ってしまう可能性もあるからです。
【追記】
お盆に間に合うように、東京の子供たちと妻が遺骨を持って帰ってきました。中型犬だったのですが、骨壺は人間並みの大きさです。
写真も最近の優しい顔のラッキーにしました。位牌には○○家愛犬ラッキー號霊位と書いてあります。これは戒名ではなく、號は号の旧文字、動物の名前に付けられる接尾語ですが、現在では競争馬や闘牛、土佐犬や伝書鳩など闘う動物や血統書が付くような動物の名前に付けられていますね。霊位は人間も同じようにここに霊が存在するという意味です。下世話な話で恐縮ですが、今回の葬儀は一式で5福沢也でした。前日に遺体を引き取りに来てくれて当日の炉前葬、それに写真のような位牌と骨壺まで用意してくれるのですからリーズナブルだと思います。
これは妻が編んだラッキーの尾っぽの毛のお守り。
これは我ら一族全員の財布の中に入っています。いつまでも忘れないようにとラッキーへの感謝の気持ちです。
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