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志津川の昼飯事情

カテゴリー: 外食:うどん

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 正面に見える島は志津川湾に浮かぶ荒島です。袖浜から荒島越しに湾奥のホテル観洋方面を眺めています。こうして、陸地部分を隠して撮影しますと、まるで何もなかったような穏やかな風景となります。この右手には大津波で倒壊した痛々しい民宿街があるのですが・・・。




 
 上は今年2月の志津川湾。養殖施設や定置網が所狭しと設置されています。
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 下の写真は今月(2011.7)の様子。何もありません。所々に浮いているのは養殖施設の残骸です。志津川湾はギンザケ養殖の発祥地。今年は水揚げ間近で津波を食らいすべてのギンザケが逃げ出しました。その後、それらのギンザケは宮城県沿岸をうろつき、水温の上昇とともに北上して、岩手、青森の魚市場でも水揚げされました。本来、日本には生息しない魚であり、体型的にも養殖物であることが明らかですので、恩恵を被った他県の魚市場や漁業者は一部でも被災したギンザケ養殖業者に返すくらいの心意気があってもよいと思いますが・・・。




 
 志津川の街中も瓦礫がかなり減ってきました。
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 それらは海辺の松原公園に積み上げられています。松林で囲まれた広々とした公園だったのですが、いまは夢の島(高度成長期の頃の東京湾の埋め立て地)のような姿になってます。




 ところで、志津川を始め、被災地で一日仕事をする場合は、食料飲料を持参するのが鉄則ですが、こうも暑くなってきますと弁当が昼まで持つか不安になります。毎回アイスボックスを持参するのも面倒です。志津川でも被災しなかった高台にある食堂はやっているとの情報がありましたのでチェックしてきました。





 やってました。こちらはホテル観洋さんが経営するレストラン海フードBBQ
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 炭火で焼く海鮮BBQが看板のようですが、南三陸キラキラ丼もありますよ。もしかすると、生き残った唯一のキラキラ丼かも知れません。キラキラ丼についてはこちらをご覧下さい。入ろうと思ったのですが、志津川では数少ない食べ処だけに超満員。昼休みの時間内には食べられそうもないので、またの機会に。 

 



 こちらはホテル観洋から少し街に近づいた所にありますレストランアイランド生蕎麦大朝日さん。
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 確かオープンした頃はベイサイドレストラン風だったのですが、土地柄か徐々に丼物や麺類も加わって、終いには蕎麦屋がメインのようになってしまいました。残念ながらこちらは駐車場が狭く、満車のため見送りです。





 以前、新聞に震災後の志津川コンビニが店開きしたと書いてありました。避難所となっているベイサイドアリーナ近くでローソンの仮設店舗を発見。
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 宮城県の被災地では初の仮店舗ローソンです。(株)エムズさんの物流センター内にある倉庫を改装したそうで、店舗名は南三陸エムズ店。朝7時から午後7時までの半日営業です。





 そして、もう1軒のコンビニがこちら。1軒ではなく1台ですね。
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 震災前ここにはセブンイレブン志津川天王前店がありました。店は流されましたが、移動販売車が営業しています。





 この車は保冷車となっていて、中は冷え冷え。ここで昼飯食べたいなぁ。^^
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 飲み物はもちろん、サンドイッチや冷たい麺類が並んでいます。営業時間は11時~16時でランチタイム狙いですね。





 この日は麺類がディスカウント。冷やしたぬきうどんがたったの390円。
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麺とつゆと具材がそれぞれ分かれており、食べる時に合わせます。キンキンに冷えていて美味しそう。





 海辺に車を止めて頂きます。30℃以上の暑さの中で食べる冷やしたぬきは格別です。
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 温かくなった弁当より冷たい麺類は有り難いですね。うどんは讃岐風ですが、さすがに茹で立てではないのでそれなりです。でも、この冷たさが体を癒し、午後への体力を蘇らせてくれるのです。





 気仙沼石巻のように津波に襲われなかった区域がある被災地では飲食店も通常通り営業していますので、外食も可能ですが、志津川女川雄勝のように町のほとんどがなくなってしまった被災地ではこのような生き残った飲食店やコンビニの仮店舗はオアシスのような存在です。気仙沼でも郊外のスーパーは毎日特売日のように駐車場が埋まってます。有難いのですが、一種の震災特需ですね。まったく企業の運命はいつどこで変わるかわからないものです。

 

2011/07/25(月) 05:00 | trackback(0) | comment(6)
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とあ

URL | [ 編集 ] 2011/07/26(火) 09:34:24

こんにちは
ギンザケの養殖地だったんですね~知らなかった
手間暇かけて育てて震災で全部逃げ出されてしまうと
養殖されていた方は悲しくなりますね…

ぜひいつかキラキラ丼を食べてみたいです

でも今の季節はやっぱり冷やしたぬきですよね~
冷やしたぬき大好きです

あいしゅ

URL | [ 編集 ] 2011/07/26(火) 19:31:19

八戸のすし屋で、今月末からギンザケバーガーを販売し
売上の一部を宮城県の養殖関係者に寄付すると記事が出ていました
それにしても、昨年の水揚げが62億円だったのに・・・・
寄付すると言っても。
養殖業者の方々は、元々は自分達が養殖していのに。
やりきれないですよね。

サエモン

URL | [ 編集 ] 2011/07/26(火) 21:24:10

  とあさん こんばんは。

 そうです。ギンザケ養殖は宮城県で発展しました。
4月からは水揚げが始まるところだったのに、残念で
ならないでしょうね。

 南三陸のキラキラ丼は今年、食べ歩こうかなと思っていた
矢先でした。早い復興を願うばかりです。

 冷やしたぬきと冷やしラーメンは夏の救世主ですね。^^ 

サエモン

URL | [ 編集 ] 2011/07/26(火) 21:26:01

  あいしゅさん おばんです。

 そんなアクションを待っていました。沿岸域は誰しも被災者ですが、
海の男の心意気を歴史に残しておくべきだと思うのですよ。このような
殺伐とした被災地には美談が必要なんです。

kazu

URL | [ 編集 ] 2011/07/27(水) 00:08:13

こんばんは。
たしかギンザケの養殖の技術、三陸沖チリ地震津波のあと、姉妹都市になって、チリでも養殖始まったんですよね。
今では価格半値です。軒先貸して母屋取られる、ですよね。

サエモン

URL | [ 編集 ] 2011/07/27(水) 20:46:03

  kazuさん おばんです。

 チリにギンザケ養殖を教えたのは志津川の生産者では
ありません。少しでも安いサケを輸入して儲けようとした
大手水産会社でした。チリには欧米の技術も導入され、
三陸より近代的な大量生産が可能となりました。

 それにノルウェーの養殖サーモンも輸入され、日本の
サケ放流事業も成功してサケ類の供給過剰となりました。
日本人は年間約40万トンのサケ類を食べますが、それ
以上の供給となり、日本のギンザケ養殖は採算割れとなって
衰退したのでした。

 それでも、残ったギンザケ生産者は技術改革と経営の見直し
で今日まで続けてきたのですが、この震災でまた、ゼロからの
スタートとなってしまいました。











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