東北地方の高速道路無料措置
カテゴリー: 料理:麺類
ここは気仙沼市波路上地区。気仙沼湾の湾口に位置し、外海に面しているため津波の影響を直接的に受けています。そのため、倉庫や家屋も跡形もないくらいに破壊されました。それに加え、地盤沈下で海水が溜まり、気温の上昇とともに水質の悪化が目立ちます。写真では伝わりませんが、この周辺には冷凍工場が多かったので、流れ出した冷凍魚が辺り一面に散乱し、それらが腐敗して深呼吸が出来ないくらいの悪臭が漂っています。さらに、これらの腐敗魚を餌として大きなクロバエが大発生しており、大群が飛び立つとヒッチコックの「鳥」を思わせる恐怖感があります。まさに地獄・・・。
後方に見える4階建てのビルは、気仙沼向洋高校の校舎です。もちろん、ここは現在使われておらず、市内や登米市の高校に分散して教育活動を行っています。昨年の全国高等学校野球選手権大会宮城大会で準優勝だった野球部も他の高校のグランドで練習を開始しています。頑張れ!向洋球児。
本日は午後から仙台で会議。午前中休みを取って、久々に仙台の街中を散策します。
若葉が過ぎて、青葉の季節に移り変わろうとしています。花壇の花々、ケヤキの木洩れ日、まるで天国。
街は食べ物で溢れ、実に活気に満ちています。
改めてこの界隈の飲食店の多さに驚きます。以前、この辺りで働いていた頃は、恵まれた環境に有難みを感じていなかったなぁ。脳天気に評論家気取りの食べ歩きをしていたことが恥ずかしい・・・。
平日なのに女子高生がカラオケに。きっとテスト明けの憂さ晴らしか何かでしょう。
君たちもあの時はライフラインが止まって大変だったでしょう。でも、もう忘れてしまったかな。
同じ県内なのにこの大きな差は一体何なのでしょう。どう思う、ハト君・・・。
考えてみると、私の生まれる一昔前、今から66年前の1945年7月10日未明、仙台市街地はB-29による無差別爆撃を食らって中心部が焦土と化しました。死者は千数百人、この中に私の祖母や叔母、従姉妹も含まれます。仙台駅から西公園が見えるほど焼き尽くされたそうです。その後は食糧不足に悩まされ、内陸部や沿岸部に満員列車に鮨詰めになって買出しに出掛けたそうです。その時、焼き出された仙台市街地の人々は緑に溢れた田舎を天国と思ったに違いありません。災害は万遍なく均等にはやってこないのです。
この日、街に出て来る前に役所に寄って罹(り)災証明と被災証明の申請をしてきました。
り災証明は家屋に対する損害の証明で、これは生活再建支援金や義援金の交付に必要です。一方、被災証明は家財や自動車、食器類などの動産に対する損害を証明するものです。我が家は、コンクリートの基礎にヒビが入りましたが、り災証明申請しても一部損壊になるかならないか程度なのであまり期待はなく、屋内の壁の亀裂や食器類、給湯器などの破損が大きかったので被災証明書をもらうつもりでした。
みなさまご承知のように6月20日から一年間、東北地方の高速道路無料措置が開始され、り災か被災のどちらかの証明書があれば、一部を除き東北地方から乗り降りすれば、通行料はタダになるのです。詳しいルールはNEXCO東日本のHPをご覧ください。自宅と気仙沼の往復に大変有り難い措置なので、証拠写真や修理に関係する領収書を揃えて窓口に並びました。
ところが、窓口の説明では被災証明は行っておらず、り災届出証明書を発行してその代用としていました。ですが、これって、り災証明の査定に時間がかかるので、その間、届け出が受理されたことを証して繋ぐ措置だったはず。従って、家屋の損壊がない場合は、査定の段階で届出証明書も失効するのですが、驚いたことに、り災物件を選択する欄には、家財・機器・自動車。。。と記載され、最初から家屋を対象としていないのです。これじゃ、被災証明と同じじゃないですか。だったら、こんな変則的なことをやらないで被災証明書を出せばいいのに・・・。 それに証拠となる写真や領収書も必要ないというのにはまたまたビックリ仰天。@@
被災証明は市町村で取り扱いが異なる一般的な行政証明なので、やはり国の基準に裏打ちされたり災証明を少しいじって運用した方が混乱がないと踏んだのでしょうか。ところが、これでも、市町村によって対応はバラバラで、混乱が生じています。被災の確認が不可能と判断した市町村では、住民誰でもOKという大盤振る舞いに出ています。地域格差が広がる前に、いっそのこと国として地震の被害があった東北地方に住居を有する国民全てを対象にするとか、東北地方の有料道路は誰でも一年間通行無料と定めてくれればスッキリするのではないでしょか。第二次補正予算ではそのような噂もありますが、果たしてどうなるやら。いずれにしろ、そのツケは税金に跳ね返るのでしょうけど。
ともあれ、使ってみましょう。今までの癖でETCレーンに入りそうになりましたが、一般レーンでチケットを受け取ります。
自動車道を使って気仙沼に行くには、仙台の街中からですと、東北自動車道を北上して一関ICから、国道284号(気仙沼街道)を東進するルートと自宅からだと三陸自動車道の終点(2011年現在)登米東和ICから国道346号(西郡海道)と国道45号(東浜街道)で行くルートがあります。今回は後者で向かいます。
三陸道は鳴瀬奥松島ICまでが有料です。さっそく、り災届出証明書と本人確認のための運転免許証を提示します。料金所で慌てないよう、証明書はクリアーファイルに入れて、グローブボックスに入れるかコンソールボックスの脇にでも立てておきましょう。
本当に大丈夫かと不安がありましたが、すんなり無料で通過できました。通常、ここまでは一般道を走りますので、20分くらいの時間短縮になりました。現地では仕事前に各部門の代表者によるミーティングがありますので、早朝に出発しなければなりません。この時短は大きいですね。
通常、休み明けには朝5時に家を出ますので、朝飯抜きです。20分のゆとりが出来ましたので、気仙沼の自分の部屋で朝ごはんが作れました。
小さな電熱器と30cm四方位のシンクしかありませんので、煮るか茹でるかしか出来ません。この日は朝から暑いので冷麦を茹でました。
冷蔵庫がないので常温で保存できるものしかありません。山葵だけのぶっかけ冷麦ですが、ここちよく喉を通過します。
まだ、6月だから水道水も冷たく感じますが、夏になったら氷が欲しくなるでしょうね。それに夜中に喉が渇いた時に冷たい飲み物がないのも辛そうです。昨年の夏のような酷暑になったら大変です。やはり、小さな冷蔵庫を買いましょう。単身赴任は何かと物入りです。^^
混乱はありましたが、高速道路無料措置の恩恵で気仙沼に行き来する時間が短縮できました。朝飯を食べなければ、20分も遅く起きれます。これは冬になって日の出が遅くなってきた来た時には有り難いことです。ただ、家を失い、避難所や仮設住宅住まいの方々や親戚縁者に身を寄せる本当の被災者の方々とって、この措置は有効だったのでしょうか。避難している何人かに聞いてみましたが、車があってもせいぜい石巻まで買い物に行くくらいだそうで、この区間の三陸道は既に無料です。それに、家も建てなくてはならないのに遠くに旅行に行くゆとりはないとのこと。有料道路がタダでも、ガス代や宿代はかかりますからね。
支援物資を輸送するトラックやボランティアの方々の車は大体、災害派遣等従事車両に登録されてますので、何も変わりません。一体この措置は誰のためなのでしょう。つまり、ライフラインが止まって不自由した軽い被災者へのいわゆるバラマキなのでしょうか。それにしては、この恩恵に被れない地域では、ETC車両の休日上限千円もなくなり、不満も大きいと思います。何かものすごく場当たり的な感じが・・・。
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