蘇れキラキラ丼
カテゴリー: 外食:丼・オーバーライス
この美味しそうな海鮮丼は、震災前の1月下旬、南三陸町志津川で頂きました(関連記事)。南三陸町では飲食店組合が四季折々の海鮮丼をキラキラ丼と命名して売り出してきました。ちょうど今頃はメカブも盛り込んだ南三陸キラキラ春つげ丼が終了し、南三陸キラキラうに丼の季節となっているはずでした。
志津川の旧魚市場周辺には魚屋さんが多く、おさかな通りと呼ばれていましたが、大津波で無惨な姿になってしまいました。以下の2枚組の写真は上が震災前の1月下旬、下が6月上旬の撮影です。
すっかり、見通しが良くなってしまった志津川の街。45号線付近からおさかな通り越しにホテル観洋が見えています。周辺は瓦礫の原となっていますが、主要な道路は綺麗に片付けられています。
志津川でも有名な山内鮮魚店さんも基礎しか残っておりません。
山内さんのHPによりますと、会社社屋、製造工場ともに壊滅しましたが、正文社長を始め、ご家族はご無事のようです。
ここには街なか交流館が建っていて、観光客の休憩やトイレ、情報収集に役立っていました。
例年であれば、週末にはウニ丼目当ての観光客で賑わっていたはずです。
そして、冒頭の海鮮丼を頂いたしお彩さんがあった場所です。しお彩さんの若親方は無事だったのでしょうか。
遠くに震災直後からテレビで何度も映された志津川病院とサンポートが見えています。町の復興デザインは昨日(6月10日)、発表になりましたが、この街の魅力の一つでもあったキラキラ丼も早く復活してもらいたいものです。
こんな看板を見つけました。達筆な文字で安否を告げています。ご主人のお人柄が表れています。
牡蠣や塩雲丹が美味しかった遠勝商店さん。今は奥様のご実家に避難されているとのこと。
この瓦礫の中でも元気な看板を見つけました。骨組みだけとなってしまった鮮魚店さかなのみうらさんでした。
新聞でも取り上げられていましたが、瓦礫の中から探し出した包丁を使って、仮店舗を早々に立ち上げるとのことでしたが、見当たりません。後でわかったのですが、仮店舗はベイサイドアリーナ近くの住宅地内に出来ているそうです。後日、伺ってみましょう。
さかなのみうらさんの店舗跡には、「よみがえれ故郷 ふんばれ南三陸町」と大きな文字で書かれています。社長の三浦さんは自らも被災していながら、各避難所を回って、本当に必要な物資を届け回りました。この彼の活動が「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の発端となったそうです。このプロジェクトは早稲田大学の西條剛央教授が代表となり、全国へ必要な支援物資を呼びかけています。詳しくはこちらをご覧下さい。
被災地には全国のみならず世界から物資が届けられますが、現場のニーズとの食い違いが多々見られます。このような状況を少しでも緩和するためにこのプロジェクトが役に立っているのです。これ以外にも被災した市町のHPには不足している物資やボランティアの受け入れに関する情報もアップされていますので、支援を行いたい場合には参考にして下さい。
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