【石巻市雄勝町】被災地支援に行って参りました
カテゴリー: 3.11震災関連
いったい誰がこんなふざけたことをしたのでしょう。津波の仕業とはわかっていても腹が立って仕方がありません。私は今、三陸沿岸の石巻市雄勝町へ被災地支援にやって来ました。雄勝湾は良質なホタテガイが養殖されることで有名で、若い頃から少なくとも100回以上は仕事で通った関わりの深い土地なのです。地元の方々にも大変お世話になり、その恩返しのつもりでもあります。
北上川(追波川)の方から峠のトンネルを越え、雄勝の町に降り立って最初に目にする光景です。左手に海があり、右は大原川の上流を見ています。
海から600m以上離れた所ですが、町は跡形もなく、さらに1Km以上奥まで津波が遡った様子がわかります。石巻や仙塩地域で激しい被災現場を何度も見てきましたが、改めてその凄まじい破壊力に背筋が震えます。
自衛隊による大規模な捜索活動も終了し、今は重機による瓦礫処理が進められています。
雄勝町には高知駐屯地の第50普通科連隊が派遣されていました。
倒された防波堤(左)と地盤沈下で海水に没する漁港の岸壁(右)。
高さ15m、三階建ての雄勝病院をも津波が飲み込んだそうですので、このくらいの防波堤は何の役にも立ちません。防波堤の切れ間に沈む漁船が痛ましい。水が被る岸壁には嵩上げしない限り船は留めることが出来ません。
雄勝湾内ではサルベージ船による海底の瓦礫回収が進められています。
海底に瓦礫があるとアンカーが利かず、養殖施設を設置することが出来ません。雄勝では夏までに瓦礫の回収が終われば、秋から北海道のホタテ半成貝を導入し、養殖を再開するそうです。
現在、役場の機能は高台にある養護老人ホームに移されています。
この建物も周囲の土地が崩れており、決して安全とは言えません。電気と水道は施設の一部で使えるようになっていました。
日本赤十字や自衛隊、消防、警察の方々もこちらを使って支援活動しています。
入れ代わり立ち代わり、多く方が訪れます。役場の方々にはご家族や友人をなくされた方もいらしゃるのに休日も休まず仕事をされています。全く頭が下がる思いです。
与えられた仕事は支援金や義援金の申請受付と拾得物の引き渡しです。
この他、手が空いていれば、荷物の積み下ろしや掃除など何でも喜んでやらせて頂きました。
拾得物の多くは自衛隊の方々が瓦礫の中から回収してきた位牌や遺影、アルバムにランドセルなどです。このランドセルの生徒たちは助かったのでしょうか・・・。
これらは水で洗われ、乾燥させてからプレハブに展示します。アルバムは膨大な数があり、この中から自分や家族の物を探し出すのは簡単ではありません。それでもみなさん、懸命に探しています。そして、見つかりますと、涙を浮かべながら、、、
「ありがとうございました。これを大切な形見にします。」
「本当によかったですね。お持ち帰り頂く前に、お名前と※▽☆Д・・・」 (ノ_・、)
思わずこちらまでもらい泣き、見つからないようにプレハブの陰に行って、ハンカチを目に当てました。このような極限状態の中でもみなさん家族の絆を大切にしているのです。
現地で使っている紙コップには激励メッセージが。千羽鶴や色紙なども飾られていました。
全国からのメッセージが届いています。支援に来た団体の寄せ書きも壁に貼ってありました。
被災地支援は完全自立が原則。今回はこの施設に寝泊まりさせて頂いていますので、テントこそありませんが、オートキャンプ並みの装備は必要です。
飲料水も10リットル持ち込みましたが、一部で水道が復旧していました。ちなみにワンセグは役に立たず、ラジオは室内では受信できないので、毎日、外でニュースを聞いていました。これらに、雨天に備えて、レインコートと長靴は必携です。それでも不足があれば、往復50Kmありますが、河北のコンビニまで車を飛ばします。写っていませんが、シュラフの下に敷くマットがあると快適です。
朝食はレトルトのご飯や缶詰、またはカップ麺にレトルト半ライスなど。
湯を沸かし、そこでレトルトご飯を温め、その湯でインスタント味噌汁やカップ麺を作っていましたが、これって大丈夫なのかな。^^
昼はサイズの大きいカップ麺に変わりますが、似たようなものです。
窓口業務や拾得物の対応ですので、昼休みはありません。交代で手短に済ませます。落ち着いて料理を作っている時間はないのです。
夜は役場の配慮で弁当が支給された日もありました。
被災地でこんな立派な弁当が頂けるとは、少し後ろめたさも感じましたが、実に美味しい。役場の方々は昼食を支援物資であるパンやカップ麺に清涼飲料水などで済ませています。避難所生活の方もおられ、このような食生活が何カ月も続いて大丈夫でしょうか。
避難生活で難儀するのがお風呂ですが、自衛隊による風呂のサービスがありました。
有り難いですね。被災地では数少ない楽しみの一つです。瓦礫の山では風が吹くと埃が舞い上がりますので、風呂で洗い流すことは衛生管理上も重要です。
静まり返った朝の雄勝湾。偶然か、それとも誰かが置いたのか、ガードレールからミッキーが「おはよう」。
こんな穏やかな海があの日、悪魔の姿になって襲ってきたなんてなかなか信じられません。海は穏やかで恵みを与えてくれる反面、時として陸地をも襲うことがあることを子々孫々、正確なデータとともに伝えて行かねばなりません。
雄勝を始め被災の激しかった三陸沿岸の町では、復旧がまだ始まったばかりで、再生や復興はまだまだ先になるでしょう。震災を受けなかった地域ではもう過去の物となっているかも知れませんが、被災地ではまだ真っ只中にいるのです。これは国難です。できること、やれること、どんなアクションでも構いませんので、支援し続けて下さい。
今回の支援活動は志願して行ってきましたが、帰って来ると来月からもっと北の町に行くことが決まってました。今度はかなり長くなりそうです。でも、望むところです。どこの被災地でも必要とされていることを一生懸命やるのみです。
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