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12 北イタリアの料理とイタリア人のホスピタリティー

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  今回のイタリアミッションという視点から振り返ってきましたが、とうとう最終章になりました。この章のタイトルのような総括的な考察ができるほどの滞在日数ではないのですが、今までのイタリアとの付き合いも総合した雑感を綴ってこのシリーズの終止符とさせて頂きます。




【北イタリアの料理について】

 よくイタリア料理は「南に行くほどくなり、北に行くほどくなる。」などと言われてきました。すなわち、南イタリアではトマトを使った料理が多く、北イタリアはアルプスにも近く牧畜も盛んなので乳製品を使った料理が多くなるということです。 確かにイタリアは日本ほどではありませんが、南北に長くその距離は約1000Kmあります。それに加えかつては独立した都市国家が幾つもあって、それぞれに独自の食文化が継承されていましたので、地理的特徴がそのような傾向を維持していたのでしょう。

 日本もかつてはそのような傾向がありましたが、札幌発祥の味噌ラーメンが全国で食べられ、豚骨ラーメンや讃岐うどんもチェーン店が全国展開しています。魚についても西日本はブリ文化、東日本はサケ文化とされていましたが、節目以外の日常生活では、養殖ハマチが東日本でも当たり前に食べられ、逆に西日本ではサーモン類の消費がブリを上回りつつあります。

 イタリアについても同様で現在はナポリの伝統ピッツァをミラノで食べることができ、食文化の全国的混合が進行しています。従って、このような現象に埋もれつつある伝統的郷土料理を見極めることでしかイタリア国内の地域性をつかみ取ることが出来ないのです。




 イタリアを北中南に三分した場合の北イタリアエミリア・ロマーニャ州(州都ボローニャ)以北を指し、ポー川流域のPadania(ポー平原)とそれを取り囲む山岳地帯で構成されます。
ポー川
 ポー川は北イタリアを東西に横断する延長652㎞のイタリア最長の河川です。日本で最も長い河川は信濃川ですが、それでも367㎞ですのでその長さは想像を超えます。フランス国境のアルプス山脈に源があり、ミラノやベローナの南を流れ、アドリア海に注ぎ込みますので、まさにイタリアを分断しています。

 当然ながら、その流域には肥沃な土地を利用した農業地帯が誕生します。上流のピエモンテ州やロンバルディア州では牧草栽培と酪農が発達し、その下流のポー平原一帯では稲作が発達しました。




 稲作酪農が融合して生み出されたのがリゾットと言えるかも知れません。リゾットにはバターやチーズが使われます。
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 ミラノでもベローナでもそれぞれ個性的なリゾットに巡り合えました。稲作が盛んでもコメの種類が日本と異なり、粘りが少ない中~長粒種なので茹でてインサラータにするか、リゾットのような雑炊風の料理に発達したのでしょう。


 
 牧畜が盛んですので肉料理は美味しかったですね。
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 ミラノ風カツレツは揚げ油にバターも使うので、日本のカツのようにソースをかける必要がありません。ビフテッカは赤身肉のステーキですが、塩だけで十分でした。これにジビエの季節だったら、鹿や兎にも出会えたのですが。。。^^



 それと北イタリア発祥と言われるティラミス。ほぼ毎回登場しました。
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 ミラノのあるロンバルディア州名産のマスカルポーネチーズを使った定番ドルチェは今やイタリア全土どころか、日本でも四半世紀前に大ブレークしました。



 このように北イタリアというと米や野菜、畜肉に乳製品のイメージが強いのですが、ベネト州はアドリア海に面し、キョッジャのように大きな漁港もあります。決して、シーフード料理は南イタリアのシチリアやナポリだけではありません。



 ベネト州で食べた様々な魚貝類料理。もちろんタコやイカも使います。
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 これについては第9章の魚貝類料理満喫 @ Verona e Chioggiaをご覧ください。


 とてもこれらだけで北イタリアの料理を物語ることは出来ません。山岳地帯が控えていますので秋にはキノコ類が豊富に採れますし、冬が寒いので様々な煮込み料理が発達しています。今回は真夏の訪問だったので、煮込み料理には出会えませんでした。特にミラノのオーソ・ブッコは課題として残されました。



 この寒さのために北イタリアではオリーブは自生せず、ガルダ湖周辺がオリーブ栽培北限とされています(関連記事)。
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 厳しい環境で育つオリーブは品質が良く、虫害も少ないので農薬使用も南より少ないのです。今回、訪れたベローナのオリーブ農園Salvagnoオリーブオイルは飲み物かと思えるくらいに爽やかでした。参加メンバーの一人は宮城でオリーブ栽培を始め、北限同士の繋がりを持とうとしています。


 

【イタリア人のホスピタリティー】

 これも難しい課題を取り上げてしまったものです。私は学生時代からの親友であるイタリア人としか深い付き合いがなく、イタリア人全体を見てきたわけではないのです。そもそも、イタリア人と括ってしまえるわけもなく、料理のように北南、かつての都市国家ごとに気質の違いもあるようです。 ただ、同じキオッジャでも陽気な南イタリア人みたいな方もいれば、あまり笑わず慎重な態度で接する方もおります。それでも共通して感じるのは、日本人以上のホスピタリティー、すなわち、持て成しの心です。

 キオッジャは長年の付き合いがある親友の本拠地なので、その影響も少なからずありますが、それを遥かに超える歓待を受けております。それは、事前にキオッジャと類似点の非常に多い塩竃から日本人がやってくるという期待感が町全体に走ったのかも知れません。



 想定外の歓待を受けたキオッジャの街。リストランテから出ると音楽隊が待ち受けていました。
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 文化交流会の会場となるシティーホールまで大行進となりました。そして、ホールの前では両国の国家斉唱です。完全に日本代表の扱いとなってます。何なんだろう。旅人の歓待はこの街の方々の楽しみなんでしょうか。

 きっと1585年にキリシタン大名の息子たちによる天正少年使節もローマからの帰路でこの街に立ち寄っており、このような歓待を受けたことでしょう。そのことをキオッジャの方々がご存じだからでしょうか。でも、これが逆の立場であったら、私たちはこのような歓待ができたか甚だ疑問です。




 そして、交流会の最後にキオッジャ市役所や主催された皆様から持ち帰れないほどのお土産を頂いています。
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 ミッションメンバー全員と塩竃市長には、ベネチア湾の伝統的漁船Bragozzaの小型模型。塩竃市長へは大型模型とキオッジャ市のも頂いています。その他、古典的な海産動物の図譜、キオッジャ市に関する出版物の数々。これらについても親友が空輸で宮城に送ってくれました。どこまでも面倒を見てくれます。




 水産会社CAMの見学時に試食品の盛り付けに描かれた両国の国旗
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 これは社長の指示なのか、従業員の機転なのかよくわかりませんが、相手を喜ばそうとする気持ちの表れには違いがありません。




 ミラノのリストランテでは、スタッフに日本から来たことを告げると急に会話が多くなります。
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 年配の方にとっては、日本はともに戦争で負けた間柄なので親しみが湧くようです。年配のご主人は店の外まで見送りに出て一人一人と握手です。




 確かに日本人の持て成しとはタイプが異なるかも知れません。地味ながら相手の痒い所に手が届く日本の持て成しと感情を表面に出して全力で面倒を見るイタリア人ホスピタリティー。どちらが良いということは出来ませんが、即効性があり、世界的な標準は後者です。

 2020年の東京五輪は誘致の際、お持て成しをキーワードとして使いました。恥ずかしがり屋の日本人の持て成しは短時間には発揮できないので、長く接することのできない外国人向けの持て成し法も身に付けておいた方が良いかも知れません。



 
 ここまでイタリアミッションのレポートを読んで下さった皆様に心より感謝いたします。


 私はこれから日本人としてのお持て成しの心を塩竈キオッジャとの友好促進という形で続けて行きたいと思っています。政宗公の夢や常長の意思をたった1回のミッションで済ませてはなりません。今後も二つのよく似た水産都市の交流と産業提携を促進するための仲介役としてNPOではありますが、「塩竈・キオッジャ友好協会」を設立しようと考えている次第です。


     
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2015/10/09(金) 05:00 | trackback(0) | comment(0)
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