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今まで8カ国ほどに足跡を残してきましたが、どこの国でも見かけるのがカニ風味蒲鉾、いわゆるカニカマってやつですね。それが寿司ネタやサラダ、揚げ物などで出てきます。もちろんどこの国でも、それが本物のカニだとは思っていないのですが、口に合うのかとにかくよく売れています。ただ、日本より作り方が雑で色もどぎついのです。聞いたら大部分が韓国製でした。
それはまだしも、23年前にキオッジャの魚市場で鮮魚の横に無造作にカニカマが売られているのに仰天しました。(1992.10 キオッジャ魚市場にて)

それを彼らはSURIMI と呼んでいるのです。最初、イタリア語かと思って辞書を引きました。でも、彼らは日本語だと言うので、原料の擂り身がどういう加減で伝わったのかカニカマの名称になってしまったのです。なにか日本の多様な蒲鉾文化が変に矮小化されて伝わったようで悔しさを覚えました。その後、南米にも何回か行きましたが、同じ思いをさせられました。
昨今、このことを忘れかけていたのですが、この度のイタリアミッションで塩竈の名産、揚げ蒲鉾の老舗マルブン食品の佐藤社長がイタリア人に揚げ蒲鉾を食べさせたいというので、それならキオッジャの文化交流会で揚げ蒲の紹介とSURIMI の誤解解きを同時に成し遂げようという趣旨で以下のようなプレゼン用スライドを作ってみました。
まず、SURIMI とは日本語で擂った魚の肉のことであり、カニカマではないことを説明します。

パンや麺類の生地と同じ状態なので伊訳すると Pasta di pesce になります。このPasta di pesceをGoogle翻訳にかけるとちゃんとすり身になりますね。
そして、このSURIMI を加熱すると蒲鉾になり、加熱手法によって異なるタイプの蒲鉾が出来ることを知ってもらいます。

揚げた蒲鉾はイタリアの方のお口にも合いますよと塩竈の特産揚げ蒲鉾へと話しを繋げて布石を打ちます。
イタリア人の親友から未利用・低利用の低級魚を何とかしたいと事前に相談されていました。

そこですかさず、蒲鉾は今では北太平洋のスケトウダラのSURIMI が主原料ですが、日本各地のローカルな魚でも作られており、イタリアでも多獲されるニギスやタチウオ(下左端の黄色枠)でも作ることができますよと関心を高めます。
さらに、色や食感は異なりますが、日本の技術でニシン、イワシ、アジなどの青魚でも蒲鉾が作れるのですと自慢します。

大型のニシンは地中海にはいませんが、ニシン科の小魚Spratは多獲されます。それにイワシやアジの仲間は世界中にいます。日本の蒲鉾は魚を無駄にしませんとイタリア人のエコ心をくすぐります。それに青魚はEPAやDHA等ω-3脂肪酸も豊富に含みますよとヘルシーフードに敏感なイタリア人に波状攻撃を加えます。^^
揚げ蒲鉾には様々な食材を混ぜ込むことが出来ますと今度はイタリア人の舌に訴えます。

タコやイカはイタリア人を始めラテン系民族も大好き、イタリア野菜は彼らの自慢、卵やチーズも彼らの好物。揚げ蒲鉾に親近感を持たせます。^^
そして最後に日本の蒲鉾技術とイタリアの食材で新しいワインに合う揚げ蒲鉾を作りませんかと持ち掛けます。

たぶんイタリア人の食欲に火が点いたはずです。これが実現すれば、イタリア国内の問題も解決し、ヘルシーフードをイタリア国民に提供することも出来ます。マルブン食品さんには是非頑張って頂きたいですね。
話しだけでは伝わりませんので、ミラノやキオッジャでのイベントで実際に揚げ蒲鉾を味わって頂きました。こちらはミラノのエノクラブでの浦霞試飲会での提供したもの。

和食のプレートの片隅ですが、ズッキーニや焼き茄子とともに串打ちした揚げ蒲鉾を乗せました。ワンプレートに2串ずつ乗せて全部で42プレート提供しましたが、食べ残しはたったの2本だけでした。ほぼ完食と言って良いでしょう。
キオッジャでの市民文化交流会の後でも揚げ蒲鉾を主体としたプレートを浦霞とともにお出ししました。

これまた、ほぼ完食。イタリア人に揚げ蒲鉾は相性が良さそうですよ。^^
これまでは冷蔵して運んだ揚げ蒲鉾でしたが、キオッジャの2日目はリストランテの厨房を借りて、佐藤社長自ら半油調品を揚げてお出ししました。




工場で食べる揚げ立ての蒲鉾は別格ですが、これもかなりそれに近いです。当然ながら皆様お気に召したようであっという間に完食でした。それにしても揚げ蒲鉾をナイフとフォークで食べる光景はちょっと奇妙でしたね。^^
イタリア人も魚貝類が大好きですが、加工技術に関しては日本の方が圧倒的に進んでいます。イタリア人の親友からもトロールで混獲される雑魚を日本の技術でなんとかヘルシーフードに変えられないかと相談をされていました。その雑魚の写真と学名を送ってもらったところ、なんと、ニギス、タチウオの仲間や小型ニシンではありませんか。これならば、蒲鉾しかあるまいと思い、冒頭のプレゼンテーションになったわけです。
キオッジャで地元の水産会社とも情報交換ができ、塩竈の揚げ蒲鉾に大変関心を持って頂きました。既に会社同士の折衝が始まったようです。これでこそ、400年前の慶長遣欧使節団の目的であった交易の始まりです。イタリア人がその鋭い味覚と美的センスでどのような揚げ蒲鉾を作り出すか実に楽しみです。
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2015/09/15(火) 05:00 | trackback(0) |
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