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【富谷町】富谷宿を散策

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 いつだったか仕事で富谷町方面を運転してた時、古い町並みに迷い込んだことがありました。その時は所々にもあり、村田町と似ているなぁと思って通り過ぎたのでした。その後、調べてみますとかつての宿場町で伊達政宗の命により元和4(1618)年、七北田宿と吉岡宿の間に造られた富谷新町宿の町並みであることがわかりました。そして、何年かぶりの再訪を果たしてきました。




 奥州街道沿いの町の中心部には内ヶ崎と名前が目に付きます。
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 内ヶ崎家は旧領主である黒川家の家臣で、伊達政宗に取り立てられ、この宿場の本陣を努めたそうです。二代目が寛文元(1661)年酒造店を創業し、現在まで続いています。酒の銘柄は「鳳陽」です。




 これは富谷宿の吉岡側の外れにある内ヶ崎別邸です。
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 この横に町巡り用の駐車場があり、流れのある庭園の一部を散策できます。




 これは本陣跡である内ヶ崎酒造店です。
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 この町には酒造店だけではなく、内ヶ崎が付く砂糖店、醤油店、歯科医院、商店等々があり、まさに内ヶ崎一族の町です。



 
 本陣跡の斜め向かいに恋路の坂という艶っぽい小路がありました。
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 なんでも、あの有名なアララギ派の女流歌人原阿佐緒とアインシュタインの弟子石原純(東北帝国大学教授)がデートで通った坂道なんだそうです。どーでもいいですけど。。。^^




 こちらは大正時代に衆議院議員を務めた内ヶ崎作三郎氏の生家です。
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 内ヶ崎作三郎は、本陣を務めた内ヶ崎家の分家で、明治9年に生まれました。東京帝国大学を卒業した後、オックスフォード大学へ留学、帰国して早稲田大学の大隈重信より懇請され、早稲田大学の教授となったそうです。そして、さらに政界へと進んだのです。




 富谷宿と書かれた大きな板の看板があるにやって来ました。南部藩や松前藩、田村藩等の木製の宿札が見えます。
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 御休処とも書いてあるので、ちょっと覗いてみましょう。蔵の中には一種独特の空気もありますからね。




 こちらの蔵はこの宿場町の資料展示室であり、地場産品販売所でもありました。tomiya11.jpg
 このは天保14(1843)年創業の佐忠さんが明治時代に建てたそうです。反物や呉服を扱ったお店だったそうですが、現在は通りの反対側で紳士婦人服店を営んでおります。帳場には現在のご主人が座っておられ、町の歴史を語ってくれました。




 熱心に話しを聞いていたら、コーヒーまで出してくれました。恐縮です。
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 先々代のお伊勢参りの話しや当時の物流や観光などについて興味深いお話がたくさん聞けました。




 蔵内を見渡しますと、骨董までは行きませんが、それでもかなり古い物が並んでいます。
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 日常使われていたような戦前の食器などがあり、とても惹かれました。



 
 思わず手に取ってみたくなったのが、この富士山を形取った小鉢。
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 面白いデザインですよね。クッションのために敷いてあった古新聞は昭和初期のものでした。




 で、結局、連れてきてしまいました。今年は富士山が世界遺産に登録された記念すべき年でもありますし。
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 こういう食器にまでデザインされるのですから、やはり文化遺産なんですよね。まさに芸術の源泉。それにあり合わせの物を盛ってみました。ナメコおろしと温泉卵に気仙沼あじ蔵の食べラーです。^^




 蔵が残る富谷宿。この町並みを残していくことは大変なことだと思います。行政の援助も必要でしょう。駐車場は整備されていましたが、そこにトイレがないのは残念です。町を散策するためには、トイレの位置を示す案内板も随所に必要でしょう。それと折角訪ねてきたのですから、ここで食事も出来るとよいのですが、アンティークな喫茶店蕎麦屋さんでも欲しいところです。元々、富谷はお茶の名産地、日本茶を菓子とセットで飲ませる茶店があっても好いですね。

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2013/12/05(木) 05:00 | trackback(0) | comment(5)
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