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輸入食品の放射能

カテゴリー: 3.11震災関連

 ご承知のように4月1日以降、食品に含まれる放射性物質の基準が改められ、農畜産物や水産物などの一般食品は震災後の暫定基準であった500ベクレル(Bq/Kg)から一気に100ベクレルに引き下げられました。当然のことながら、この値を超えた生産物は出荷することができず、場合によっては廃棄になってしまうのです。それまで、手塩にかけて育てた苦労は報われないのです。



 農畜産物養殖物は、基準値を超えれば出荷できないので制御が可能です。一方、天然魚は漁獲してから全部を検査していたら、鮮度も下がりますし、よほど大きな魚以外、食べる所がなくなってしまいます。そこで、高い値が出やすい魚種については事前に検査を繰り返し、基準値を超えそうな海域での操業を自粛しています。



 現在、宮城県では一部海域でスズキマダラヒラメヒガンフグ自粛の対象となっています。それにしても、3月まで暫定基準で300ベクレルでも400ベクレルでも普通に流通していたものが、4月1日からは101ベクレルでもニュースになるのですから、どうにも腑に落ちません。イサダ(ツノナシオキアミ)は養殖魚の餌として利用されてきましたが、検出限界に近いくらい微量なセシウムが検出されただけで、購入を断ってきた長崎県の養殖業者などは風評被害を煽っていることになります。とても、原爆を克服してきた県民とは思えません。



  100ベクレルより、もっと高い値の食品が国内に流通していた事実もあります。それは輸入食品です。



therunobuiri.jpg  今を去ること26年前のことですが、1986年のチェルノブイリ原発事故によりヨーロッパ全土の土壌が汚染され、輸入食品の放射線量が高まり、食料自給率が低い日本では深刻な問題となりました。そこで、翌年からはセシウム134と137の合計で370ベクレルを規制値としました。

 輸入食品に関しては、この値で今までやって来たわけです。厚生労働省はその後、2001年までの違反事例(放射能の規制値を超えた輸入食品の種類と輸出国)を公表しています。  




 

 違反事例の一覧表を整理して、件数の多かった食品輸出国を洗い出してみました。まず、食品ですが、このようになります。 


 表1 370ベクレルを超えた輸入食品上位5位

順 位食品名違反件数
1ハーブ類26
2キノコ類13
3ナッツ類5
4牛肉製品3
5トナカイ肉2

 圧倒的に、乾燥ハーブハーブティーが多かったのです。続いて、有名なポルチーニのようなキノコ類です。現在、日本でも露地栽培のシイタケで高い値が見られているようにキノコ類セシウムを濃縮しやすいのですね。輸入量は少ないのですが、トナカイは地面の地衣類(菌類と藻類の共生生物)を食べるのでセシウムが溜まりやすいようです。


 問題はこれらの件数は検疫で発見されたものだけで、すり抜けたものは国内に流通していたはずです。さらに、基準値以上の食品がこれだけ多いということは、370ベクレルぎりぎりクリアーな輸入食品も相当数国内に出回って来たことでしょう。


 

  因みに370ベクレル超えの食品を輸出した国ですが、件数の多い順に以下のようになります。


 表2 370ベクレルを超えた食品の輸出国上位5位

順 位国    名違反件数
1フランス17
2トルコ8
3イタリア5
4アルバニア3
5ギリシャ・スイス
スペイン・ソ連
2


 これはチェルノブイリのあるウクライナからの距離というより、セシウムが多くなりやすいハーブ類キノコ類を多く輸出するフランスが必然的に多くなります。 さらに2,000Km以上離れたスペインからも370ベクレルを超える食品が輸出されるのですから、EUは一般食品の基準1250ベクレルとせざるを得なかったのでしょう。それに比べたら日本の100ベクレルという基準値がいかに厳しいかわかると思います。




 現在は輸入食品と謂えども、日本国内で100ベクレルを超える食品を販売、加工すれば罰せられますので、100ベクレル以上の輸入食品は流通しなくなるでしょう。ただ、ヨーロッパに行けば、当然、EUの基準での食生活をしなければなりませんし、世界でもトップレベルに厳しい日本にいた方が食生活に関しては安心かも知れません。



 ただ、フォールアウトによる地面に降り注いだセシウムからの外部被爆も原発に近い本県南部では、現在も空間放射線量率が0.4μSv/hほどあり、原発事故以前の空間線量を差し引いて、年間追加被曝線量に換算しますと、3ミリシーベルトほどになります。この度の改正基準値での食生活で年間内部被爆線量を1ミリシーベルト以内に押さえても外部被爆の方が多くなります。さらに、胃癌検診や肺癌検診での医療被曝は諸説ありますが、トータルで数ミリシーベルト/回とも言われており、食べ物による内部被爆だけにあまり神経質になり過ぎるのもどうかと思います。

2012/05/13(日) 05:00 | trackback(0) | comment(6)

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m(..)m

左衛門尉
 
   

  
 【追記】

saigo0.jpg
   野山の新緑が日を増すごとに萌え上がり、生命の息吹を感じます。にも関わらず、記事の更新が滞っており、申し訳ありません。
 



saigo1.jpg 実はGW前半に入院中だった父が永眠いたしました。今年、数えで米寿を迎える予定でしたが、数ヶ月足りませんでした。ここ数年、入退院を繰り返し、4月のお花見の直前には肺炎が悪化して回復することなく旅立ちました。前日までに東京から子や孫が全員駆け付け、最期も母や私たち夫婦が看取りました。

 
酸素マスクに点滴で体中、管だらけでしたが、亡くなる12時間前までは意識もしっかりしており、飯時になると「この病院の横に美味しい中華料理屋があるから行っておいで」と自分はもう食べることが出来ないのに我らのことを気遣うのです。私の親だけに食べ物屋のことをよく知ってます。私が生まれるまでは仙台以外で暮らしたことがなく、先祖代々の仙台っ子でしたから、隅々までリサーチ済みなのでしょう。
 



saigo2.jpg 早速、行ってみますと昭和を感じさせる典型的な中国料理店でしたが、接客がしっかりしており、日替わりのワンコインメニューまであって、大変良心的なお店でした。父は食べ歩きも好きでしたが、自分でもよく料理していました。神戸で暮らした数年間も珍しい関西の料理を自宅で再現するのが楽しみで、完成までに家族は不思議な食べ物を食べさせられました。 

 若くして通産省から民間にトラバーユしたのは良かったのですが、Fコンツェルンの斜陽とともに人生も陰りを見せ始めました。会社も変わり、生活も苦しくなり、母も夜中まで働いていました。私も自宅から通える学費の安い学校以外は進学できない状況に追い込まれます。


saigo3.jpg  退職後には事業を起こしましたが、今度はバブル崩壊により負債を抱えて破綻。その後は生き地獄となっていきます。極度のストレスから胃癌となり胃を全摘、落ち武者のようになって東京から故郷の仙台に戻ります。清算を済ませた後は慎ましながらも穏やかな生活にやっと戻れました。

 後半は苦労だらけの父の人生でしたが、最期は家族に看取られ、安らかな幕切れとなりました。美味しいものをお供えしますので、ゆっくりとお休み下さい。私も残務処理が終わりましたら、また、執筆を始めたいと思っています。 
2012/05/08(火) 05:00 | trackback(0) | comment(18)