【山形県金山町】イザベラ・バードも訪れた街(前篇)
カテゴリー: 外食:蕎麦
イザベラ・バードIsabella Lucy Bird女史(1831~1904)をご存知の方は多いと思われます。イギリスの女性旅行家であり、紀行文作家だったのですが、鋭い観察力と正確な描写の作品が称賛され、晩年、スコットランド地理学会の特別会員に推挙されています。上の写真の「日本奥地紀行」は洒落たタイトルに訳されていますが、原題はUnbeaten Tracks in Japan、つまり、日本の踏み均されていない道のことであり、明治11(1878)年当時のみちのくの山間部や農村部を敢えて選択して旅しています。Unbeatenには西洋文明にまだ染まっていないという意味や西洋人にとっての未踏の地という意味も込められているのでしょう。530ページほどありますが、引き込まれるように読破できました。
46歳の彼女が単身、海を渡って横浜に着いたのは5月21日、東京の英国公使館の協力を得て、通訳の日本人青年を伴い東京を旅立ったのは6月10日。それから9月までにみちのくを経て北海道まで踏破しています。前記のように当時のみちのくの農村部の状況を正確に解説していますので、読んでいて辛くなることも多々あります。ある田舎宿では悪臭が漂い、蚤や虱(シラミ)の猛攻を受けたとか、どこの宿でも部屋の外は人だかりで障子の穴からずっと覗かれ、プラバシーが全くなかったとか・・・。さらには、ある農村の人々は衛生観念がなく、服も洗わず、ほとんどが皮膚病を患っているとか。。。読んでいて胸が締め付けられました。
シビアな観察眼の彼女も新潟から峠を越えて、山形県置賜地方に立ち寄った時、様々な野菜やフルーツが整然と栽培されている様子に「東洋のアルカディア(桃源郷)」と称賛しています。さらに北上して金山町では「ロマンチックな雰囲気の場所なので一日か二日ここに滞在しようと思う。」と記しています。この金山町では彼女に「日本のピラミッド」と表現させた光景に出合えますよ。
新庄市から北上して上台峠を越えるとピラミッドのような3つの山が目に入ってきます。
左から薬師山(437m)、中ノ森(415m)、熊鷹森(390m)で金山三峰と呼ばれています。三峰の南側に金山の町が見えています。彼女もこの奇妙な光景を133年前に眺めたのです。
峠を下って街に近付きますと、山の形状がハッキリしてきます。
薬師山は彼女の文章を借りますと、「ピラミッド形の丘陵が半円を描いており、その山項までピラミッド形の杉の林で覆われ、北方へ向う通行をすべて阻上しているように見えるので、ますます奇異の感を与えた。」そうで、薬師山の東側は噴火で飛ばされたようにえぐれています。現在の国道13号線は薬師山の西(左)側を迂回していますが、当時の羽州街道は薬師山と中ノ森の間を辿っており、ますます、立ちはだかる様に見えたのでしょう。
街に入っても随所から薬師山を眺めることが出来ます。
薬師山は金山のシンボルでもあり、信仰の対象でもありました。それにしても金山の街並みは素敵ですね。建築は詳しくないので上手く説明できませんが、左のような白壁と杉板の外観を持つ町家や住宅が多いのです。新庄辺りでも見かけますが、金山には統一感があり、この建築手法の発祥地なのでしょう。
金山の街並みは特産の杉を活かした美しさを保つよう町が住民とともに努力しているそうです。
清冽な水が流れる用水路には丸々太った錦鯉が泳いでいて、餌も十分に与えられていることがわかります。
街の中心部から羽州街道を少し北上しますと金山川に架かるきごころ橋がりあります。
長さ58m、コンクリートの車道橋に沿うように架けられています。太い金山杉が柱に使われていますね。
再び街中に戻ってイザベラ・バードの記念碑を発見。
彼女が「日本奥地紀行」の中で金山を「ロマンチックな雰囲気の場所」と評したパラグラフが和英で記されています。みすぼらしい町とか哀れな村と評価された所も多いだけに自慢したくなる気持ちはよく理解できます。
ここは蔵史館 (金山町街並みづくり資料館)です。米蔵を譲り受けて整備したとのこと。
中はコンサートやギャラリーなど文化活動に利用されています。
蔵史館の真ん前には100年以上の歴史がある建築物で蕎麦を食べさせるそば処草々さんがあります。
歩き疲れてお腹もぺこぺこ。清冽な水が街を流れていますので蕎麦にも期待できそうです。
奥に続く廊下のような土間を進むといきなり人力車に出くわします。
イザベラ・バードも道の良い区間では人力車をよく利用していました。どこでも車夫が礼儀正しいと驚いていました(北海道を除く)。
座敷に上がると仏壇まであって、古い民家に上がりこんだようです。
そのとおりで明治20年代に建築された旧家を開放してそば処としているようです。従いまして、明治11年に金山を訪れたイザベラ・バードはこの家を見ていないことになります。
庭園が見渡せる窓際に陣取ります。献立は至ってシンプルで3種類。しかも、どれも700円。
混雑時期の迅速な対応を考えているようです。観光客向けのそば処なのでしょう。
こちらは妻の頼んだとろろなめこそば。かなりボリュームもありそうです。
丁寧に作った副菜も付いてきます。
こちらは私の板そばです。初めてのお店では寒くても冷たいお蕎麦で様子を見ます。
同じ山形でも次年子周辺の田舎そばより色も白くやや細目で上品です。
副菜もそばによって変えてあります。
左は板そばに付いてきた小茄子の芥子漬けとズイキ(芋がら)の甘酢漬け。右は汁そばの青菜漬けと根菜類の煮物でした。当然ながら、季節によって変わっていくのでしょう。
板そばを食べ終わるとおなかが冷える季節ですので、そば湯で温めます。
ロマンティックな雰囲気の街並みを楽しんだ後の蕎麦は格別です。
イザベラ・バードも気に入った金山町。恥ずかしながら、20年ほど前までは「きんざん」町と呼んでいました。その頃、よく渓流釣りに行っていた丹生川沿いにあの有名な銀山「ぎんざん」温泉があったからです。その後、誰かに指摘されて、今度は勝手に「かなやま」町と思い違いをしていました。学生時代の後輩に「かなやま」君がいたからです。それが、ついぞ最近、anegoさんのブログで「かねやま」が正しいことを知った次第です。 (〃´・ω・`)ゞ
「日本奥地紀行」を読みながらも日本人の私は「かなやま」と読んでいたのですから滑稽です。しかも、この町は初めて訪れたわけではないのです。子供たちがまだ小さかった頃、町外れの神室山麓にあるキャンプ場を利用しているのでした。その頃はこの街並みもただの通り過ぎる景色に過ぎませんでした。次の記事では思い出の地にも15年ぶりで訪ねてみます。
そば処 草々
・所在地 :山形県最上郡金山町大字金山字十日町370
・電 話 :0233-52-2480
・営業時間 :11:00~14:00
・定休日 :水曜日
・駐車場 :なし(役場か公民館利用)