港・けせんぬま復活祭
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8月11日、震災から5カ月が経過したこの日に気仙沼で「復興・感謝」をテーマにした復活祭が開催されました。日中には追悼献花が随所で行われ、14時46分には私たちも現場で黙祷いたしました。夜には湾内で灯籠流しや花火が行われるのです。
みんなを誘って花火見物に行こうと思ったのですが、18時には交通規制で車が入れないとか、毎年、花火の後は大渋滞となって動き出すのに1時間くらいかかるとか腰が引けています。だったら、歩いて行くべと言ってはみましたが、打ち上げ場所近くの岸壁までは5km近くもあり、行きはよいよい、帰りは・・・ですね。仕方がない、一人で行ける所まで歩いてみましょう。
これは復活祭のチラシに掲載された地図を基に書き足しています。地図を睨んでいますと良いビュースポットが見つかりました。
三角州の先端みたいな大川と神山川の合流点です。打ち上げポイントである大川河口沖までは直線距離で2Km弱、大きな玉には見えないでしょうけど、河口に向かって障害物がないのでいい感じに見えるのではないでしょか。さっそく、仕事帰りに食べ物と飲み物を買って、夕暮れ迫る大川沿いを歩いて行きます。
大川も下流に近づきますと、時々、遊びに行くせせらぎ公園辺りとは様相が大きく異なります。対岸をよく見ると、家や倉庫が壊れたままになってます。
そうか、この対岸が津波の被害を激しく受けた南気仙沼でしたね。yuotubeで映し出されたこの界隈を襲う津波の動画は今でも克明に思い出すことが出来ます。波ではなく、大河が逆流するようで、それまで考えていた津波のイメージとは全くかけ離れていました。
振り返るとこちら側もだいぶ瓦礫は片付けられていますが、壊れた住宅もそのまま残っています。
なんだか人の気配がないなぁと思いましたが、この近辺の方々は、当然ながら避難されているわけですね。それに、このような状況のところで花火を観ようという人もそう多くはないでしょう。
こちらは大川に面した南気仙沼小学校ですが、校庭がスクラップ置き場にされています。
夥しい数の潰れた車を見ていますと、胸が締め付けられます。そう言えば、気仙沼に来たばかりの頃は、水中で目が覚める夢を時々見ましたっけ。
目的地である神山川との合流点に来ましたが、誰もいません。花火が上がる方向を明るいうちに写しておこうとシャッターを切る寸前、右側から水面を走る長さ2m位の物体が。
正直、冷や汗をかきました。なんと神山川からカルガモの親子が隊列をなして進んできたのでした。かなり緊張している自分に苦笑。
ノンアルビール缶を開けて川面に三振りし、合掌です。ささやかですが、どうぞ召し上がって下さい。
カラスやカモメが狙っていますので、しばしお供えして、お下がりを頂きます。
やがて辺りは夕闇に包まれます。そこで気付いたのですが、この辺りは電気も復旧していないし、当然ながら街灯もありません。
このまま、真っ暗闇に飲まれていくのかと思うと、またもや、緊張感が走ります。しかも、懐中電灯も持って来ていませんし。そう言えば、震災直後、塩釜でも石巻でも金属バットやバールを持った輩が夜な夜な出没したそうです。ですが、あれからもう5カ月、街の治安はすっかり回復しており、要らぬ心配をするなと自分に言い聞かせます。
そして、最初の花火が打ち上がりました。予想より少し右に偏っており、一部が鉄塔に被ります。
この最初の花火は被害が大きかった沿岸の町、11カ所で同時に打ち上げられています。被災地から一斉に打ち上げるこのLIGHT UP NIPPONプロジェクトは費用がすべて募金で賄われております。
引き続く、復活祭の花火ですが、三脚なしのコンデジで撮ってますのでブレはご容赦願います。
残念ながら、途中でバッテリー切れ、最後の方で大玉が上がったのですが、撮り損ねました。
気仙沼では以前からみなとまつり海上花火大会として、毎年、打ち上げられてきましたが、津波で街が壊滅的な被害を受けながらも今年また夜空を彩ることが出来たのは感慨深いものがあります。南気仙沼一帯は地盤沈下もあり、まだまだ、人が住める状況にはありませんが、魚市場を核にした再生が着実に進められています。
打ち上げ前は暗闇の中にたった一人で緊張しましたが、終わる頃にはちらほらと人も集っていました。お子さん連れも多く、やっと人間社会に戻った気がしました。復活祭は翌日、翌々日と様々なイベントが開催され、今年のお盆へのプロローグになったのでした。