愛犬の好物

カテゴリー: 未分類

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 我が家の愛犬海苔が大好きです。器用にパリパリとよい音を立てて食べるのです。時々、に貼り付けてむせ返ることもあるのですが、治まるとすぐにお代わりをねだりに来ます。もちろん肉や魚も好きなのですが、海苔はおやつのような存在なのかも知れません。パリパリ感を楽しんでいるのか、風味を味わっているのかはわかりませんが、面白いのでめざましテレビのきょうのわんこに投稿しようかなとずっと思ってきました。海苔に続く好物は煮干しです。我が家はずっと朝の味噌汁のダシは煮干しですので、毎朝、ダシ殻を数本もらうのが日課なのです。よっぽどこれが好きなようで毎日欠かさず食べられるのに、飛び付いてきます。妻は毎朝、を噛まれていました。





 我が家の愛犬はLuckyラッキーと言います。雑種の雄ですが、臆病で番犬には向きません。
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 夜中に雷が鳴ったり、強い風がヒューヒュー鳴り響きますと、ヒーヒー泣き出します。 ^^ それに知らない人でも、よしよしと頭を撫ぜれば、すぐに懐きます。




 
 ラッキーは1995(H7)年11月初旬、お隣の物置の下で産まれました。母親は柴系の雑種でしたが、産まれて間もないラッキーは黒くてまるで熊の子のようでした。
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 実はお隣では、雄のやはり柴系の雑種を飼っていたのですが、そこへ野良であったラッキーの母親が押しかけ女房的に住みつき、いつしか子犬を産んでしまったのです。ただ、父親が誰であったのかは、今でもわかっておりません。子犬は全部で3匹産まれました。とても可愛くて、近所の方々も毎日のように見に来ました。


 うちの子供たちも、息子が2年生、娘が幼稚園の年小組で、突然、現れた縫いぐるみのような子犬達が可愛くて可愛くて、帰って来ると真っ先に見に行っておりました。お隣さんもこの子犬たち飼い主になってくれる方を探しており、ひと月ほどの間に1匹、また、1匹と新しい飼い主が決まっていきました。


 当然のことながら、子供達からは子犬を飼いたいとの強いリクエストがあったのですが、当時は家を新築してからまだ5年目で造園に精力を傾けていたこともあり、が植栽を荒らすことが気掛かりでした。それに自分自身、子供の頃に飼っていたコリー犬が満4歳を迎えずしてフィラリア病で亡くなってしまった辛い思い出もあり、頑なに拒んでいました。


 半月ほど悩んでいたんですが、子供達の熱意とお隣さんが飼い主探しに苦労されていること、自分自身も子供の頃にと生活を共にして学んだこもとも多かったこと、そして、今でも自分もが大好きであったこともあり、少し早いクリスマスプレゼントとなりましたが、小さな首輪リードを買って帰ったのでした。次の瞬間には子供達はそれらを持って、お隣さんちに駆け込んだのは言うまでもありません。



 かくして、ラッキーは我が家の一員となりました。ラッキーという名前ですが、この年、1995年は年明けから阪神・淡路大震災や続いて地下鉄サリン事件が発生し、悲しいことが多かったので、少しでも世が幸せになるように願って命名しました。毎日、ラッキーラッキーって何回も口にしていれば、本当にラッキーになれるのではないかなと思ったのです。



 子供たちにとっては兄弟が増えたのと同じです。そう、我が家に次男がやって来たのです。毎日、3人で転げまわりながら遊んでいました。
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黒くてムクムクで懐に入る位の大きさだったラッキー2ヶ月もしますと赤褐色の部分が多くなり、二回り大きくなりました。首の回りと手足の先が白いのはどこかでコリー犬の遺伝子が混じったのでしょうか。


 
 4カ月も経過しますと、体格は娘と同じくらいになりました。顔の周りの鬣(たてがみ)がライオンのように見えます。
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 犬は社会性の動物で、自分の順位をわきまえます。この頃から、ラッキーは娘より上位だと認識し始めます。娘がちょっかいを出しますと本気で怒りますし、娘が叱られて泣いていますとそばに寄り添って慰めていました。眉が下がっていましたから、動物にも子供の泣き声の淋しさが伝わるのでしょう。



 6カ月後には、小さなライオンのようになり、もの凄いパワーを見せつけます。
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 しゃがみ込んでいる妻を押し倒すことくらい軽くやってのけます。


 生後9カ月でオートキャンプデビュー、秋田県の中央部、森吉町(現北秋田市)のキャンプ場へ。
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森吉山へも全員落伍せず登頂できました。この頃のラッキーは眉の辺りがこち亀の両津勘吉のようにM字模様。ラッキー改めマッキーにしようかとも思ったりして。^^



 海水浴にも連れて行きましたが、一面の砂浜に大感激。子供たちが砂掘りをしていますと、俺に任せろと全力で大穴を掘り上げます。
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 犬
は走ることと穴を掘ることが天賦の才なんですよね。人間に飼われているとそれが発揮できなくてストレスが溜まっているのでしょう。たまには、思いっきり走らせて、好きなだけ穴を掘らせてあげたいものです。 


 

 生後1年を過ぎる頃より、反抗期に入ったのか、幼さが取れて少し不良っぽい容貌になりました。
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眼つきが険しく、ジャッカルのような獰猛さも出てきました。


 それも一時的で2歳を過ぎる頃から、精悍なイケメン風の顔立ちになってきます。
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 頬から下になびく鬣が凛々しく、勇者の風格も出てきました。この頃には、犬ではなく、もう、すっかり、家族の一員です。^^


 5・6歳の頃には毛並みも豪華になり、尾っぽがカーニバルのようだとか、通りすがりの人にチャウチャウですかとかよく言われます。
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 チャウチャウはもっと顔が埋もれているでしょう。でも、多くの方に、何という犬種ですかと聞かれること数知れず。ちょっと嬉しかったりしましたが、そのたびにハイブリッドなんです・・・便利な言葉だ。^^ 下の写真のようにたまに左右の眼の開きに差が見られることがあります。そういえば、耳も片方が垂れていますね。



 

 10歳に近づく頃より、表情に中年の丸みが出てきて、優しい感じになってきました。
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顔も少しこけて、白っぽくなってきたようです。それまで、週末は必ず、裏山を小一時間かけて散歩していたのですが、暖かい季節に山を散歩をしますと、ダニが取り付きます。ダニはバベシア原虫を伝播し、感染症を引き起します。不幸にしてラッキーバベシア原虫症に感染しますが、投薬と注射で完治します。しかし、加齢による衰えもあるのでしょうが、坂道を登るのが辛くなってきます。


 14歳を過ぎる頃から、体力の衰えは顕著で、表情の変化も乏しくなってきます。
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部屋の縁に沿って何回もグルグル回るようになり、そのうち、どこかの隙間に顔を突っ込んで身動きが取れなくなったりするようにもなりました。フローリングの部屋では摩擦が少ないので、自力で立ち上がれず、時々、四肢を広げたままうつ伏せでもがいていたりもしました。



 それまではトイレの意思表示もあり、外で済ませていたのですが、所構わずの状況となり、ついにオムツをはいてもらうことになります。食欲はあるのですが、自分で四肢を突っ張って、食べることが出来なくなり、水の入った器を口に近づけたり、スプーンで食事を口に入れたりが必要になってきます。 散歩はゆっくりですが可能です。ただ、僅かな傾斜の坂でも足が止まるので、この道には傾斜があるんだと気付かされることも。



 今年に入り、大震災直前に妻は親の介護のためラッキーを連れて実家(東京)に帰りました。
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 震災を逃れたのは不幸中の幸いでしたが、衰えゆくラッキーの介護も背負うことになったのです。大震災後には老化も著しく、日中、寝ている時間が多くなり、その分、夜中に起きて立たせろと吠えるそうです。そのため、妻は睡眠不足となり、精神的にも肉体的にもかなり憔悴してしいました。

 
 私は状況によっては尊厳死も選択肢に入れるよう伝えました。でもある時、あまり夜中に吠えるので、妻は我慢できず、リードでラッキーを叩いたそうです。運悪く顔に当たったそうですが、ラッキーは表情のない顔でただじっと見つめているだけでした。それを見た時、底知れぬ憐みが溢れ、最後まで見届けることを決めたそうです。





 そして、、、、




 7月29日、朝から体調が悪化し、11時44分息を引き取りました。(妻撮影)
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 病院にも連れて行き、治療をされて戻った矢先のことだったそうです。特に苦しむ様子もなく、15歳と9カ月の命が終焉を迎えました。外見もまだ若く、とても老衰で逝ったとは思えず、風邪などの感染症が死期を早めたのかも知れません。本日(31日)、府中の火葬場で荼毘に付されて骨となり、来月中に妻と生まれ故郷の宮城に戻ってくる予定です。遠く離れた私は参列できませんでしたが、妻や息子娘が見守ってくれたのでラッキーも心強かったことでしょう。 この記事はラッキーの火葬が終わる7月31日午前11時にアップします。
 



 

 ほぼ16年の命は、犬にとっては長い方かも知れません。その大部分を我が家の子育て支援に費やしてくれました。 大震災の年に生まれ、大震災の今年に帰って行ったラッキー。その間にたくさんの幸せをくれました。
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 犬を飼うということ
は、子犬の時の可愛さだけではなく、老いてからの介護も不可欠であることを認識しなければなりません。ラッキーは本当に良い性格の犬でした。衰えてからも家族に癒しを与えてくれましたし、私たちも生涯忘れることはないでしょう。




      ラッキー、今まで本当にありがとう。


 ラッキーの写真を一日かけて整理しましたが、それは家族の歴史そのものであることを実感しました。子供たちが幼い頃から巣立っていくまでを家族の一員として支えてくれたのですから。末期は妻の負担が大きかったものの、それはそれまでのラッキーへの恩返しと思ってくれるでしょう。は素晴らしい仲間です。でも、もう、飼うことはないでしょう。次は愛犬の最期を見届ける前にこちらが先に逝ってしまう可能性もあるからです。
 






【追記】

 お盆に間に合うように、東京の子供たちと妻が遺骨を持って帰ってきました。中型犬だったのですが、骨壺は人間並みの大きさです。
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写真も最近の優しい顔のラッキーにしました。位牌には○○家愛犬ラッキー號霊位と書いてあります。これは戒名ではなく、の旧文字、動物の名前に付けられる接尾語ですが、現在では競争馬や闘牛、土佐犬や伝書鳩など闘う動物や血統書が付くような動物の名前に付けられていますね。霊位は人間も同じようにここに霊が存在するという意味です。下世話な話で恐縮ですが、今回の葬儀は一式で5福沢也でした。前日に遺体を引き取りに来てくれて当日の炉前葬、それに写真のような位牌骨壺まで用意してくれるのですからリーズナブルだと思います。





 これは妻が編んだラッキーの尾っぽの毛のお守り。
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 これは我ら一族全員の財布の中に入っています。いつまでも忘れないようにとラッキーへの感謝の気持ちです。

2011/07/31(日) 11:00 | trackback(0) | comment(20)

西国より美味来たる 絶品干物の数々

カテゴリー: 料理:買い魚

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 週末、戻った自宅に宅配便が届きました。震災見舞いの熨斗も付いています。何だろうと逸る心を抑えて箱を開けますと中からお魚が顔を出しました。嬉しいですねぇ。長州藩の釣り友達、wok姐さんが伊達藩では漁業もままならず、魚に飢えているだろうと気遣って、干物の詰め合わせを送って下さったのです。その通りなのです。漁業者の船は9割方なくなりなり、現在、急ピッチで建造中。他県のカツオ船は水揚げするようになりましたが、沿岸の地魚がまだ水揚げされないのです。それに現在でも週に2~3体のご遺体が海から引き揚げられており、海釣りも自粛していましたので、沿岸の小魚の禁断症状が出始めていたところだったのです。^^



 

 干物は全部で5種類も詰合わされていました。嬉しいなぁ。
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 上の写真左上から時計回りでアカカマス、スルメイカ、マアジ、ソウハチ(鰈)にアカムツです。どれも本当に美味しそう。どれから食べよう、悩みます。





 中でも特筆すべきはこのアカムツノドグロと言った方が通りが良いですね。
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 みちのくではあまりなじみのない魚です。下の写真のように口の中から喉にかけて黒い膜が覆っています。それからノドグロと呼ばれています。白身のトロとも称されるように、脂も多く、北のキチジに対して、西のノドグロとして張り合っている高級魚です。ちなみにみちのくでもノドグロと呼ばれる魚がいますが、それはユメカサゴである場合が多いですね。分類学的には遠いのですが、これも喉が黒いのです。




 ところで、清廉で爽やかなイメージのあるサヨリですが、実は喉ではなく、腹腔内面が真っ黒なんです。つまり腹黒いのですが、だれもサヨリハラグロと呼ぶ人はおりません。やっぱし、人間と同じで美人が得するのは世の常なんですね。余計な話でした。 m(..)m 余計ついでに、私の先輩は沖縄で発見した新種のサヨリにミナミサヨリと命名しました。^^





 で、欲張って一通り焼いてみました。
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 気仙沼では調理器具の関係で焼き物ができないのです。ですから、焼き魚は飢えに飢えていました。





 まずは西日本の高級魚ノドグロから・・・。 な、なんなの、この美味さ。キチジのトロリとした脂と違って噛み締めるほどに旨味と一緒にじんわりと口いっぱいに広がります。
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これは、美味い魚は北に在りとあぐらをかいている場合ではありません。正座して食べねばならぬ美味しさです。さすが、wok姐さん、こいつぁ、一本とられやしたぁ。^^




 続いて、これもみちのくでは珍しいアカカマス。東京ではよく食べていた懐かしい味です。
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 淡泊でありながら、ほんのりとした脂と追い打ちをかける旨味が堪らないですね。仙台湾でもカマスが釣れたら嬉しいなぁ。このカマスの干物のもう一つのお楽しみはもう少し下の方でご披露します。^^





 さて、後日。今晩はソウハチ(鰈)とスルメイカの生干しです。どっちも酒に合うんだなぁ、これが。
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 ソウハチはみちのくでも沖合底引きで獲れるカレイで、干すことにより旨味が倍増するのです。





 呑兵衛の性をよく御存じのwok姐さん、泣かせる心配りです。美味い魚を追いかけて長州の美酒獺祭DASSAIがやってきたではありませんか。(感涙TT)
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この波状攻撃にすっかりやられました。姐さん、しっかりと味あわせていただきやすぜ。このお酒は長州は岩国の旭酒造さんが丹精込めて醸した純米大吟醸。みちのくの酒より、甘味、酸味、苦味、辛みがすべて強く、ワイン界でいうフルボディな美酒です。これならロックでも物ともせず、豚の角煮でも張り合えそうな気がします。旭酒造さんのHPをご覧下さい。西国よりみちのくの大震災復興をご支援下さっています。幕末は不幸にして敵対しましたが、長州の皆様はみちのくのことを想って下さっていますよ。
 

 



 ちょろりさんから頂いた南部藩の小久慈焼きの片口で長州獺祭を楽しみます。
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 日本の東西のコラボによる小宴会の開催です。^^



 
 副菜には畑の蒸し茄子夏野菜のだしです。
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 ここに山形の郷土料理も参入です。今宵は呑み過ぎること必至でしょう。^^





 明けて翌日・・・。昼近くのブランチには氷を浮かべたカマスの茶漬け。いや、冷やしだし漬けが正しい。作り方は下の4コマの通りです。
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 カマスの干物をこんがり焼いて身をほぐし、皮や骨をダシ昆布とともに煮てだしを取ります。これを濾して塩で調味し、冷蔵庫で冷やします。ご飯は水で洗い、茶碗に盛り、キュウリの塩もみとカマスの身を乗せてから、冷やしただし汁を張ります。この冷たいカマスのだし漬けは夏の清涼剤なのです。特に呑んだ翌朝がよろしい。アジの干物ではだしが野暮ったく、カマスだからこそ成せる逸品なのです。






 wok姐さん、この度のお心遣い痛み入ります。誠にありがとうございました。また、仙台湾でご一緒に釣り糸を垂らしたいのですが、多くの知り合いの漁師さんも船を失い、漁ができない状況にあります。我ら釣り師が何の気兼ねもなく海で遊ぶのはもう少し先になるでしょう。伊達藩の漁師さんも高齢化が進んでいますが、みなさん元気です。やがて以前のように漁を再開するでしょう。その折りには、最高のポイントにご案内いたしますのでお達者でいて下さいましよ。

2011/07/28(木) 05:00 | trackback(0) | comment(10)

志津川の昼飯事情

カテゴリー: 外食:うどん

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 正面に見える島は志津川湾に浮かぶ荒島です。袖浜から荒島越しに湾奥のホテル観洋方面を眺めています。こうして、陸地部分を隠して撮影しますと、まるで何もなかったような穏やかな風景となります。この右手には大津波で倒壊した痛々しい民宿街があるのですが・・・。




 
 上は今年2月の志津川湾。養殖施設や定置網が所狭しと設置されています。
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 下の写真は今月(2011.7)の様子。何もありません。所々に浮いているのは養殖施設の残骸です。志津川湾はギンザケ養殖の発祥地。今年は水揚げ間近で津波を食らいすべてのギンザケが逃げ出しました。その後、それらのギンザケは宮城県沿岸をうろつき、水温の上昇とともに北上して、岩手、青森の魚市場でも水揚げされました。本来、日本には生息しない魚であり、体型的にも養殖物であることが明らかですので、恩恵を被った他県の魚市場や漁業者は一部でも被災したギンザケ養殖業者に返すくらいの心意気があってもよいと思いますが・・・。




 
 志津川の街中も瓦礫がかなり減ってきました。
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 それらは海辺の松原公園に積み上げられています。松林で囲まれた広々とした公園だったのですが、いまは夢の島(高度成長期の頃の東京湾の埋め立て地)のような姿になってます。




 ところで、志津川を始め、被災地で一日仕事をする場合は、食料飲料を持参するのが鉄則ですが、こうも暑くなってきますと弁当が昼まで持つか不安になります。毎回アイスボックスを持参するのも面倒です。志津川でも被災しなかった高台にある食堂はやっているとの情報がありましたのでチェックしてきました。





 やってました。こちらはホテル観洋さんが経営するレストラン海フードBBQ
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 炭火で焼く海鮮BBQが看板のようですが、南三陸キラキラ丼もありますよ。もしかすると、生き残った唯一のキラキラ丼かも知れません。キラキラ丼についてはこちらをご覧下さい。入ろうと思ったのですが、志津川では数少ない食べ処だけに超満員。昼休みの時間内には食べられそうもないので、またの機会に。 

 



 こちらはホテル観洋から少し街に近づいた所にありますレストランアイランド生蕎麦大朝日さん。
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 確かオープンした頃はベイサイドレストラン風だったのですが、土地柄か徐々に丼物や麺類も加わって、終いには蕎麦屋がメインのようになってしまいました。残念ながらこちらは駐車場が狭く、満車のため見送りです。





 以前、新聞に震災後の志津川コンビニが店開きしたと書いてありました。避難所となっているベイサイドアリーナ近くでローソンの仮設店舗を発見。
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 宮城県の被災地では初の仮店舗ローソンです。(株)エムズさんの物流センター内にある倉庫を改装したそうで、店舗名は南三陸エムズ店。朝7時から午後7時までの半日営業です。





 そして、もう1軒のコンビニがこちら。1軒ではなく1台ですね。
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 震災前ここにはセブンイレブン志津川天王前店がありました。店は流されましたが、移動販売車が営業しています。





 この車は保冷車となっていて、中は冷え冷え。ここで昼飯食べたいなぁ。^^
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 飲み物はもちろん、サンドイッチや冷たい麺類が並んでいます。営業時間は11時~16時でランチタイム狙いですね。





 この日は麺類がディスカウント。冷やしたぬきうどんがたったの390円。
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麺とつゆと具材がそれぞれ分かれており、食べる時に合わせます。キンキンに冷えていて美味しそう。





 海辺に車を止めて頂きます。30℃以上の暑さの中で食べる冷やしたぬきは格別です。
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 温かくなった弁当より冷たい麺類は有り難いですね。うどんは讃岐風ですが、さすがに茹で立てではないのでそれなりです。でも、この冷たさが体を癒し、午後への体力を蘇らせてくれるのです。





 気仙沼石巻のように津波に襲われなかった区域がある被災地では飲食店も通常通り営業していますので、外食も可能ですが、志津川女川雄勝のように町のほとんどがなくなってしまった被災地ではこのような生き残った飲食店やコンビニの仮店舗はオアシスのような存在です。気仙沼でも郊外のスーパーは毎日特売日のように駐車場が埋まってます。有難いのですが、一種の震災特需ですね。まったく企業の運命はいつどこで変わるかわからないものです。

 

2011/07/25(月) 05:00 | trackback(0) | comment(6)

ビワで杏仁豆腐???

カテゴリー: 料理:野菜・果物

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 杏仁豆腐
はスィーツ苦手な私でも結構美味しく頂ける数少ないデザートの一つなのです。最近は生クリームを使った濃厚こってりタイプが流行っていますが、従来の爽やかなタイプが好みです。ただ、寒天で固めたものよりは口の中でとろけるゼラチン使用のゼリー風がいいかなぁ。杏仁豆腐が好きな理由はあの独特の風味です。変な例えですが、ラジコンヘリの燃料に加えるニトロベンゼンの臭いにも似たちょっと危険な香りです。それと草刈りしてまだ日が経っていない草むらの臭いにも似ていますね。


 ご存じの方も多いと思いますが、あの香りは梅や杏の実や種の中身()に含まれるアミグダリンという物質によるものです。このアミグダリン、なかなか覚えられず、時々、阿弥陀Green と発音してしまっている自分に気付くことがあります。^^ それはさておき、このアミグダリン自体には毒性がないのですが、酵素によって加水分解されると最終的に猛毒である青酸を発生するのです。この酵素は未熟な果実に多く含まれることから、青梅は食べるなとされてきたのです。そういえば、梅干しの種のも天神様と言って食べるなと戒められていたような記憶がありますが、私は食べていまし。^^


 杏仁豆腐の場合はアンズ(杏)の類のを粉末にした杏仁霜と呼ばれる粉末を使って香り付けをしていますが、使われるアミグダリンの量も微量なので全く問題になりません。もっとも、現在の日本では、ほとんどが杏仁と似た香りを持つビターアーモンドのエッセンスを使っています。毎度の事ながら前置きが長くなりましたが、やっと本題です。実はビワも梅や杏と同じくバラ科の植物で種(仁)にはアミグダリンが豊富に含まれているのです。ビワが山のように収穫されていますので、杏仁豆腐ならぬ枇杷仁豆腐を作ってみましょう。




 材料はたったこれだけ。ビワと牛乳、蜂蜜、ゼラチンに飾りとして枸杞子(乾燥クコの実)です。
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 蜂蜜はもちろん砂糖でも結構です。牛乳300mlに対し、ゼラチンは水分量の2~3%ですから6~9g、もちろん少ない方が柔らかく口溶けも良いのですが、切り分けることが難しくなります。ゼラチンは水でふやかし、クコの実も水で戻しておきます。





 本日の主役はビワの果肉ではなく、なのです。
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 出来上がり300ml程度であれば、数個もあれば十分です。市販のビワは大粒なので、種も2~3個もあればよいでしょう。




 ビワは包丁で端を少し切り付け、外皮を剥き取ります。
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 香りが出やすいようにと擂り鉢で潰し始めましたが、これが結構硬くて大変です。最初に包丁で微塵切りにしてから擂ると良いでしょう。





 擂り終わったビワを牛乳に加えます。
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 擂り鉢に牛乳を入れて種の粉を無駄なく回収します。この段階ではまだ、加熱していません。これに好みの甘みを付けておいて下さい。




  
 弱火にかけてゆっくりと加熱します。時間をかけた方が風味が牛乳によく移ります。沸騰する手前で固める容器に濾し入れます。
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 アミグダリンの独特な香りが立ち上ります。香りの移った牛乳が冷めないうちにふやかしたゼラチンを加え、完全に溶けるまでよく攪拌します。常温まで冷めましたら、冷蔵庫でさらに冷やします。




 プルリンと良い具合に仕上がりました。味見をしますとあの香りが鼻腔に広がります。
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 見栄えはあまり良くなりませんが、包丁で切れないくらい柔らかい方が美味しいですね。スプーンですくって盛り付けます。





 枇杷仁豆腐にビワの果肉とクコの実、ペパーミントを飾りました。
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 あまり甘くしたくないので、シロップはかけませんが、その辺はお好みで。






 アミグダリンの分解物が青酸だと思うとちょっと食べる時にスリルがありますね。でも、この使い方で中毒になった人はいないようですが、毎日、ビワ種を使い続けるのは止めましょう。一時、アミグダリンは癌に効くとされ、多用されたことがありましたが、現在は否定されています。にもかかわらず、今でもビワ種や葉の薬効を謳って関連商品を売っている輩がいますが、使い方を間違えば健康障害のみならず、青酸中毒に至る場合もあるそうですので注意しましょう。

 

2011/07/22(金) 05:00 | trackback(0) | comment(14)

冷蔵庫 買ったど~!!

カテゴリー: 料理:麺類

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あ” ・ つ” ・ い~
!! とにかく暑い! 
 
 気仙沼でも日中には30℃を超えるどころか、35℃に達した日もありました。エアコンのない私の部屋は毎日耐え難い暑さになっています。昼過ぎ、積乱雲がモリモリ発達しますが、雨は降ることがなく、暑いまま夜を迎えます。閉め切った部屋に帰ってくると中はまるでサウナのようになっており、窓を開けても抜け道がないので風も吹き込みません。仕方なくドアを少し開けると今度はハエが入ってきます。生温い水道水を飲み、それを浴びて暑さが戻る前に寝てしまうのです。でも、もう耐えられません。



冷たいお茶やロックで焼酎を飲みたい!!

   氷を浮かべた素麺が食べたい!!

      冷えたおしぼりで顔を拭きたい!!



 

 冷蔵庫、絶対買います。買わないと危ない。





 で、ヤフオクで落としたのがこれ。2007年型ノンフロンタイプの98リットル2ドア冷蔵庫です。もちろん中古ですが、送料込みで1福沢なり。
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 Haierと言うメーカーです。ハイアールと読むそうです。栄えあるではありません。中国のメーカーですが、日本では三洋電機と合弁会社を作っています。その会社で三洋電機の冷蔵庫も製造しているということなので品質的には信頼できそうです。




 

 単身赴任なので1ドアでも良かったのですが、1ドアでも新品を買うとほぼ同じ値段。だったら、中古でもいいやと言うことで2ドアを選択。
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 冷凍室も広く、98リットルもあれば独り暮らしには不自由しません。まだ、あまり食品が入っていませんが、ぼちぼち本格的に自炊を始めていきましょう。中段にみみずの箱が入っているのは見なかったことにして下さい。^^  理由はこちら





 まず、やりたかったのは水出し煎茶。お茶パックに大さじ1杯ほどの煎茶を入れ、ポットに水とともに収容します。
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 今まで暑い日にはペットボトルのお茶を2本くらいずつ飲んでいましたので、不経済でした。しかも、素性のわからないお茶も飲んでいたのでしょう。




 パックの一部を蓋に挟み込んで上の方に吊しておくのが上手く抽出するコツです。
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 冷蔵庫に一晩入れておけば、朝には冷たい緑茶が一日分出来ています。




 これを氷とともにポットに入れて出動です。
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 氷も狭い口でも入れやすいように、細長い氷が出来る製氷皿を買いました。氷がいつでも使えるってどんだけ幸せなことなんでしょう。普通通りの生活をしていたら、こんな感激味わえなかったでしょうね。





 続いて、憧れの氷を浮かべた素麺です。ぶっかけならぬぶち入れ素麺です。
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 最初に氷水に白だしと醤油少々を加え、飲み頃のつゆを作ります。市販の麺つゆでは甘過ぎて酷暑にはくどく感じます。前もってつゆを作っておくことで丼もよく冷えてくれます。まな板も置けないくらいの調理場だったのですが、冷蔵庫の上に新たな調理スペースが出来ました。





 麺つゆが出来ましたら、薬味です。自家製の梅干しと畑の大葉(青紫蘇)を持参してあります。梅干しは叩いて、大葉は千切りにしておきます。
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 梅干しは妻が毎年作っていたのですが、今年は老犬を連れて介護里帰り中。私も単身赴任となって、とうとう作らず終いの年になってしまいました。これは貴重な昨年の梅干し。もちろん、南高梅で作っています。

 



 素麺は2分で茹だるのが有り難いですね。茹で上がったら、すかさず流水で冷やします。
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 以前だったら、冷や麦派で極細の素麺の美味しさを理解できなかったのですが、最近、嗜好が変わってきたようです。これも暑さのせいでしょうか、それとも加齢現象? ^^




 水気を絞った素麺を冷たいつゆにぶち入れて、梅肉大葉を盛れば涼味たっぷりの冷やし素麺の出来上がりです。
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 こんなのが食べたかったのです。6月までは常温でもどうって事なかったのですが、最高気温が30℃を超えるようになりますと、氷の冷たさがご馳走になりますね。




 机も椅子も卓袱台もない狭い部屋ですが、冷たい素麺が食べられるだけで居心地が大幅に改善されました。
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 当面、アウトドア用の大型アイスボックスがテーブル代わりですが、そのうち何か見つかるでしょう。今は冷蔵庫と過ごせる幸せで胸いっぱいです。^^



 
 家から持ってきた畑のキュウリで芥子漬けも作りました。これの作り方はまもなくご紹介する予定です。
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 冷たい水出し煎茶も添えて、涼味をたっぷり楽しみます。先日まで喘ぎながら生活していたのが嘘のようです。




 冷蔵庫ついでにもう一話題。火照った体を冷やすには太い血管が走る首筋を冷やすのが効果的。
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 それでさっそく買ってきました冷却襟巻。三連チャンのビニールバッグ詰め保冷剤を凍結させ、専用の袋状襟巻きに仕込んで首に巻きます。ただ、保冷剤が薄く、酷暑時にはあっという間に溶けてしまいます。




 そこで、少し大きめ(ハガキ大)の保冷剤を薄手のタオルに包み、首に巻いてみました。
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 これがなかなか具合が良く、2時間ぐらいは冷やし続けてくれました。首の両脇だけじゃなく、脇や内股もよく効きます。あまり人には見せられない光景ですが。^^  寝る前にがっつり体温を下げておけば、眠りに着くまで苦しまなくて済みますよ。





 以前も単身赴任の経験がありますが、その時は若かったのと今ほど暑くなかったので冷蔵庫なしで乗り切れました。今は我慢し過ぎますと体を壊す危険性もあります。ただ、現在、起きている事態を顧みれば、電気に頼りすぎた生活は一刻も早く改善しなければなりません。冷蔵庫は必要な時にだけ稼働させるというわけには行きませんので、裏面を壁から離し、冷却レベルを最小にして、食品の出し入れが最少限度で済むように頭を使うことにしましょう。先日の脱原発宣告は総理個人の延命策なのか、政府としての見解なのかよくわかりませんが、予測しない形で牛肉が汚染されていたり、今後も想定外の汚染が発覚するだろうことを考え合せれば、方針としては歓迎できますね。

 

2011/07/19(火) 05:00 | trackback(0) | comment(14)