復旧の日まで (10) 【余震で再び耐久生活】
カテゴリー: 3.11震災関連
4月7日23時32分、床に就いて寝入った頃に揺れを感じて目が覚めました。初期微動の様相からこれは大物だなと思った途端、また、あのガガガガガンとシェイクされるような激しい振動が始まり、ガチャガチャンと食器の割れる音や二階の本棚が倒れる音が暗闇に響き渡ります。身の危険もさることながら、折角片付けたのに、またかよという落胆も同時に感じていました。揺れが治まってから、照明を点けようとすると、予想通りの停電。懐中電灯でキッチンと二階を偵察しましたが、3月11日の本震より散乱の仕方が酷いかも知れません。幸い、津波警報は1時間半ほどで解除されましたが、その間、けたたましいサイレンが鳴り響いていました。
案の定、二階の荒れ方は凄まじく、本震以来少しずつではありますが、書籍を元のように積み込んできた努力が水の泡となりました。壁に掛けてあった愛竿も棒切れのように散乱しています。
キッチンの食器棚は前回、落ちるものが落ちて割れ尽くしましたので、今回はバケツ半分くらいの欠片で済みました。大地震の場合、余震は数カ月から数年も続くとも言われます。実際、スマトラ沖地震のように何年も余震や関連地震が続いた例もあります。だからと言って、何カ月も部屋をこのままにしておくのは精神衛生上もよくありません。さらに頑丈な突っ張り棒を買ってから、再びコツコツと積み上げていきましょう。
とりあえず、キッチンのガラス片を掃除して、雑巾を濡らそうと水道のレバーを倒すと、、、なんと断水しているではありませんか。停電と断水の合わせ技です。勘弁してほしいなぁ。
物置に戻した緊急用の備蓄水を再び、引っ張り出してきました。2リットル×4本ありますので当座は何とかなります。それにしてもやっと解放された水の配給、また、行列に並ばなければなりません。ライフラインが完全復旧したのも束の間、再び元の耐久生活に逆戻りです。これは精神的にも辛いですね。今後も大きな余震が来るたびに覚悟しなければならないのでしょうね。
噂では、水道の本管が破裂したらしく、復旧には1カ月かかるそうです。風呂はまた、先送りになりそうです。ただ、こういう時には実(まこと)しやかなガセ情報が流れるものなので、市町や水道事業所などの広報以外は信じない方がよいでしょう。
また、夜の友=震災メモリアルの登場です。
割れてしまった愛用のマグカップを利用したキャンドルスタンドです。なんだか戦友のようで愛着を感じます。
不幸中の幸いは都市ガスが使えたことです。
あまり水を使わない料理で凌ぎましょう。これでガスも絶たれたら、落胆もかなり大きかったでしょうね。
停電になると一番厄介なのでは冷蔵庫内の食品です。先月よりぐっと気温も高くなってますので悪くなりやすい物から追われるように食べていきます。
今晩は解凍してしまった豚小間と野菜で肉野菜炒めとレタスとオクラのサラダです。フライパンから直接食べるのは行儀が悪いのですが、洗い物対策だけではなく、料理が冷めにくくて都合が良いのです。温くなったKIRINのどごし生も飲んでしまいます。ライトに付いたラジオで原発の情報を聞きつつ、また、暗闇での夕食です。それにしても、「ただちに健康に影響がある数値ではない。」というのは、一体どれくらい居れば、影響があるのでしょうか。結局、避難範囲を徐々に広げて、最後にはチェルノブイリ並のレベル7だったことが発表されました。
4月5日には地震から25日ぶりで電気・ガス・水道の全てのライフラインが復旧し、これで給湯器が直れば、風呂にも入れるところまでやって来たのに、4月7日の本震並みの余震でまた、耐久性生活に逆戻り。今度は一体いつまで続くのでしょう。余震以来、こうしてキーを叩いていても、僅かな揺れを感じることが多くなりました。やはり、小さな余震も頻発しているのでしょうか。すぐに、高感度地震観測網のサイトで確認するのですが、観測されていないことの方が多いのです。地震酔い(後揺れ症候群)になってしまったのでしょうか。でも、天井や壁もミシッと音を立てたりするのですが・・・。