伊達焼き創製プロジェクト 始動編
カテゴリー: 料理:貝類
伊達巻きはお正月に付き物の卵とすり身を焼き上げた巻物ですが、伊達焼きとは何でしょう。巻く前の卵焼き状態を伊達焼きと呼ぶこともあるようですが、私は新たに伊達焼きという食べ物を創製したいと思っています。だいぶ前の記事になりますが、江戸前の小柱と三つ葉のお好み焼きをヒントに海鮮お好み焼き三陸風を作ってみました(関連記事)。その際、以下のような提唱をしていました。
つまり、お好み焼きを宮城の海産物を主役として作ってみたくなったのです。なにか新しい料理が出来そうな予感もします。つなぎである生地を極力抑えて、具が主役の鉄板焼きのイメージです。生地は山芋と卵だけにしたらどうなるでしょうか。そうすると、もはやコナモンではなく、シーフード料理のカテゴリーとなりますね。これを伊達焼きと命名して世に問えないか、、、、新・伊達焼き創製プロジェクトの始動です。^^
伊達焼きは伊達者気質を取り入れたいので、見た目は質素でも中身は豪華で行きます。そして、海産物の他にも、里や山の幸も取り入れたバージョンも想定し、封じ込める食材の探索をしています。ただ、何でもありでは、何焼きかわからなくなってしまいますので、一応、伊達焼きの定義を次のようにしてみました。
伊達焼き八箇条
一.伊達焼きとは伊達藩の選りすぐった食材を生地で焼き固めた料理なり。
一.但し、城下の庶民が入手出来うる食材を用いるべし。
一.食材を最低限の生地でつなぎ、上方のコナモンとは一線を画すべし。
一.ただ美味なる物を寄せ集めて焼き固めるものではなく、融和を尊ぶべし。
一.西洋醤油や玉酢は用いず、醤油味のタレで食材の風味を活かすべし。
一.主たる食材の脇役者として、必ず香りの物も一点加えるべし。
一.浦・里・山の食材を用いた三様を作りて持て成すべし。
一.食材の旬を出来る限り考慮に入れ、日本酒に合う料理にすべし。
何事にも定義がないと落ち着かない性格なので、たまに定義に縛られて動きがとれなくなることがあります。でも、そこは優柔不断なO型です。その都度、定義を改正していきます。^^ では、さっそく準備にかかりましょう。今回は今が旬な牡蛎を使った伊達焼きです。
まずは、工作から始まります。アルミ箔を35cmに切って、幅5cmになるように折り込んでいきます。
直径10cmの缶詰を型にしてリングにし、ステープラー(ホッチキス)で止めます。そうです、いわゆるセルクル(丸型)を作っています。ただ、具がたっぷり入るのでガレットなどに使うフランス料理のセルクルより深みを付けます。セルクルの内側にはサラダ油をたっぷり塗っておきます。
生地は山芋が主体です。よく洗ったあと、ひげ根を焼いて取り去ります。
皮は剥かずにそのまま擂り鉢で摺りおろしていきます。セルクル二つ分で20cm位は必要ですね。
ここがポイント、小麦粉ではなく米粉(上新粉)を使うのが伊達焼きです。大さじ1杯半ほど加えます。
生地の硬さは好みもありますが、入れ過ぎるとふわふわ感がなくなりますので、少なめから始めましょう。コナモンではなく、あくまでも牡蛎料理ですから・・・。米粉は小麦粉とはことなる食感が魅力です。卵は1個分です。白身が沈んで黄身だけが写ってますが、全卵を使用しています。小さじ半分ほどの塩で軽く味を付けます。
さあ、焼き方に入ります。伊達焼きは宮城の食材をたっぷり使います。旬の牡蛎を伊達焼き一つに5個使います。
最初に油を敷いた鉄板で軽く焼き目を付けます。生地の中でも蒸されますので芯まで加熱されなくても大丈夫です。
牡蛎を焼いている傍らでセルクルに生地の半量を流し入れます。正確に申しますと流れません。お玉でぽったりと落とし込みます。
生地を平らに均し、固まらないうちに牡蛎を並べます。
牡蛎の上に仙台芹と針に切った柚子皮を散らして、残りの生地で蓋をします。
飾りに小さな色紙に切った宮城の海苔を散らしました。
頃合いを見てフライ返しで天地を返し、両面をこんがり焼き上げます。
牡蛎には十分熱が通っているはずですから、軽くの焦げ目が付けば十分です。
セルクルを取り外し、刷毛で醤油、酒、味醂少々をさっと煮た詰めたタレを塗ります。
伊達焼きにはソースやマヨネーズは厳禁です。醤油味で粋に食べるのです。日本酒にも合うが伊達焼きの定義なのですから。^^
中からふっくらとした牡蛎がごろごろ出てきます。
仙台名産の芹のシャッキリ感と柚子の香りも牡蛎とよく合っています。むしろ、この二者がなければ、味が呆けてしまうかも知れません。生地も牡蛎のエキスを吸って、よい味わいです。緩めに溶いた芥子や七味唐辛子も合うかも知れませんね。
狙い通りの作品が出来上がり、自分でも少し驚いています。前記のように、伊達焼きは海の幸に限らず、宮城の里や山の幸も取り入れて、どんどんバリエを作り出して行きたいと思います。ただし、八箇条は守って伊達焼きの名に恥じない物を創製していきます。やがて、これが宮城の名物として多くの人に親しまれることを夢見て次の構想に入ります。

