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石巻で出遭った光景

カテゴリー: 3.11震災関連

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 4月下旬のポカポカと暖かい朝。満開のの木の下に無数のテントが張られています。お花見の場所取りでしょうか。いいえ、違います。これは石巻のとある所に設営された救援ボランティアの方々のテント村なのです。全国から集まる彼らは完全自立で移動手段も食料も自ら確保して復興のため、毎日、にまみれて働いています。まさに、人が持つ善意を行動として表しておられます。





 そのすぐそばには、国防色のテント村が・・・。
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 こちらは自衛隊の野営地です。自衛隊の方々は、津波直後からまだ水の引かない被災地に取り残された人々を担いで助け出したり、大活躍されました。その後は最も過酷な仕事にも当たっています。自衛隊員と言えどもやはり人です。精神的なダメージは大きく、メンタルケアも必要とされています。自衛隊のトラックやヘリコプターがごく普通に町で見られます。そうそうあってはいけないことですが、実に頼もしく感じます。





 魚市場の方に足を向けましたが、地盤沈下のためでしょうか水が溜まってそばに寄れません。
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鉄筋コンクリートの建物は残っていましたが、水揚げ岸壁に沿って作られた延長652mの上屋はかなり破壊されたようで、こちらからは見えません。日本一の規模を誇る石巻魚市場は水産大国宮城の象徴でした。一刻も早い復旧が東北の水産を再生するために必要です。




 
 石巻魚市場近くを走っていますと、巨大な赤い物体が目に飛び込んできました。
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こ、これは、鯨製品で有名な木の屋さんの鯨缶タンクではありませんか。ここは、木の屋さんの工場から200mは離れています。こんなでかい物が流されてくるとは・・・。大津波の威力に絶句です。ということは、工場も相当やられたに違いありません。でも、通行止めで近くには寄れませんでした。なお、この横たわる鯨缶GoogleMapの航空写真モードでも確認できました。





 左の写真が木の屋さんの工場前にあった震災前の姿です。これはこの界隈の名物で鯨加工品の象徴でした。
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 右の写真が木の屋さんの直売所で見かけた鯨大和煮の缶詰です。これがモデルとなってタンクがペインティングされたのです。子供の頃、学校給食で食べさせられた鯨の大和煮はちっとも美味しくなかったのに、缶詰の大和煮は別物のように美味しかった記憶があります。大人になって食べた木の屋さんの鯨缶はさらに美味しく感じました。ただただ、復活を衷心より祈るばかりです。




 水産都市石巻の中核部分である魚市場とその背後の加工団地周辺の被災状況は目を覆いたくなるような凄まじいものでした。水産都市の成り立ちは魚市場に端を発します。魚市場の水揚げ機能と流通機能が回復すれば町に活気が溢れ、水産加工業も連動して回復すると思われます。日本人は第二次世界大戦後の焼け野原から立ち上がりました。今回の試練も必ずや乗り越えていくことでしょう。

2011/04/30(土) 05:00 | trackback(0) | comment(10)

Pray for JAPAN from California. 

カテゴリー: 3.11震災関連

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 この度の震災後には多く方々から励ましのメッセージを頂きました。また、恩師、先輩、友人、弟、家族からは様々な救援物資を送って頂き、一時は日頃の生活より恵まれた状況にもなりました。サバイバルグッズや保存性のある食品は予想される大きな余震に備えてストックしたいと思っています。また、一部はお世話になった隣人被災の大きかった友人にも分けました。大変ありがとうございました。それぞれをご紹介したいのですが、品評会のようになってしまいますので、お許し願いたいと思います。


 

 それらの中には、海外から届いたもありました。妻の美大時代の同級生Keikoさんからの救援物資でした。彼女は卒業後、陶芸を専門として、単身アメリカに渡り、今では総合的な芸術家としてCaliforniaで活躍しています。受刑者にもアートを教えるなどその活動は広範でマスコミにもよく取り上げられています。代表的な彼女の作品はこちらのサイトでご覧いただけます。




 気になったのは中身もさることながら、そのです。様々な国の言葉で日本への応援メッセージが描かれているのです。
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 おそらく、彼女が教えている生徒さん達によるものでしょう。英語だけではなく、フランス語や中国語でも書かれています。ただ、中国の方が書かれたと思われる 加油 !!! 小日本・・・(左上)。加油は元気を出せ、とか頑張れという意味ですが、こんな時に小日本はないでしょう(意味は調べてみて下さい)。恐らくこれを書かれた方は何も悪意はないはずです。中国の教育を受ければ、これが普通なのですから。それはともかく、アメリカを始めイタリアフランスチリなど海外の知人友人からも安否の確認と励ましのメールを頂きました。ありがとうございました。



 ネット上にアップされている世界からの応援メッセージでは以下のサイトが感動的です。


 
 
 【pray for japan】世界から届いた日本への祈り
    (世界中のメッセージを集めたもの)


  
日本中へ届け。世界からの応援メッセージ。 #Pray for JAPAN  
   (NY在住の山本さんがニューヨーカーから頂いたメッセージを発信)

 
 
 世界は日本に注目しています。そして、強い日本に期待しています。頑張りましょう。





 さて、California Keikoさんからの支援物資ですが、すべて保存性のある食品でした。
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 California 特産のドライフルーツやナッツ類、それにチョコレートやレトルト食品とカップ麺。来る余震に備えて、ストックしておきましょう。それにしても多いので、また、分かち合いたいと思います。



 

 どうしても好奇心と食欲が抑えられなかったのが、TRADER JOE'S カップ麺
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 ライスヌードルですので、タイかベトナム風なのでしょう。さっそく、本日のお昼に頂いてみます。^^





 パッケージはお洒落ですが、ボウルの中は麺とスープの他に香味油と乾燥粉末葱が少々。この粉末が、Spring Onion と言う物なんでしょうか。
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 麺はタイのクイッティアオで言えば、センレックくらいの幅です。ずいぶん短く切ってあります。
 




 予想通り、これは箸では食べ難く、を使わないわけにはいきません。アメリカ人向けのスープヌードルなんだからでしょう。
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スープは砂糖の甘さがやや強いのですが、まずまずの味。ライムでも絞ってしゃっきりモヤシを乗せればかなり良い雰囲気です。





 ちなみに、Mushroom の方は、乾燥葱が砕いた干し椎茸に代わった物でした。日本人でもこれを食事代わりにするには量が少なく、ましてやアメリカではヌードルたっぷりのスープなのでしょう。珍しい物を頂き、単調な食生活によい刺激となりました。このところ、休みの日以外はかなり手を抜いた食事になっており、塩分も摂取過剰らしく血圧が上がっています。自宅で過ごす私ですらこうですから、保存食に依存しがちな避難所の方々の健康が心配です。



 ところで、海外ばかりでなく、日本の中にも心が温まり、勇気付けられるメッセージが発信されています。Twitter上で出会った小さなエピソードを紹介している中山さんのサイトです(下記)。嬉しくて涙が出ますので、ハンカチのご用意を。仲間の支援すらも取りまとめることが出来なかった自分には深く心に染みました。 
 

 
 UNKNOWN HEROES - 知られざる英雄たち - 東日本大震災の復興に
  

2011/04/27(水) 05:00 | trackback(0) | comment(0)

蘇れ宮城の牡蠣

カテゴリー: 3.11震災関連

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 毎年、花見のシーズンともなりますと宮城の牡蠣もこのようにぷっくりと大粒になります。シーズン的に生食用としては出荷されていませんし、大きさからも生食よりフライや焼き物、燻製などに向いています。残念ながら、今年は3月11日の大津波によって、県内の牡蠣はことごとく流されてしまいました。それに現在、漁場の復旧を最優先にするために5月末まで県内の漁業も養殖も水揚げが停止されています。




 このぷっくり牡蠣が食べられないのは残念ですが、事態はもっと深刻です。今年の夏に産卵するはずの親牡蠣が津波で持って行かれてしまったからです。流された牡蠣はどこかの海底で生きているかも知れませんが、海底の泥に埋まってしまったら、恐らく死んでしまいます。





 そんな時にマリンピア松島水族館さんが救援の手を差し延べて下さいました。
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 実はこちらの水族館では今年の夏に2歳になる大きな牡蠣を水槽で畜養していたのでした。それを知り合いの牡蠣屋さんを通じて松島湾に返したいという申し入れがあったのです。牡蠣屋さんに立ち会ってくれと頼まれましたので行ってきました。





 実は松島水族館さんも甚大な津波の被害を受けています。
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津波は松島湾の奥にもやって来て、エントランスの窓口の青いテープが貼ってある高さまで水に浸かったそうです。




 エントランスの正面にはペンギンの水槽がありますが、津波は水槽の高さギリギリまで上がったそうです。
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 もし、これ以上、海水が上がっていれば、ペンギンは逃げ出していたことでしょう。




 職員総掛かりで復旧に当たっていました。
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 塗装の剥げた海獣類やペンギンのフィギアも新たにペイントを塗ってリフレッシュ。この努力で4月32日(土)には再びオープンさせることが出来ました。




 畜養されていた牡蠣は約2,000個です。
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 これを松島湾に吊して、夏に産卵してもらおうという計画です。満2歳の牡蠣ですと1個でも2000万~3000万粒の卵を産みますので、期待が大きいのです。

 

 

 松島町の海岸部も震災当初は船や車が道路を塞ぎ、が溜まって凄まじい状況でした。今は所々に瓦礫が集められていますが、道路は完全に復活しています。上記のようにマリンピア松島水族館さんは、4月23日からは営業を始めており、アシカショーも見ることができます。しかも、4月27日(水)まで、入館料金を半額にして下さっています。さらに、被災者の方は入館料金が無料になるそうです。詳しいことは水族館にお問い合わせ願います。


 水族館のご厚意で頂いた2000個の牡蠣がたっぷり卵を産んで、今年の種ガキ採苗が上手く行ってくれることを切に願います。宮城県の種ガキは全国に出荷され、各地のカキ養殖も支えています。ですから、一刻も早い親牡蠣の再生が必要なのです。県内で元のようにカキ養殖が出来るようになるには何年も掛かるでしょうが、牡蠣屋さん達には是非頑張って頂きたいと思います。心より応援しています。


 




 マリンピア松島水族館


所在地  :宮城県宮城郡松島町松島字浪打浜16
電 話   :022-354-2020   
営業時間 :9:00~17:00(土日祭日~17:30) 
定休日  :年中無休
入館料  :高校生以上1,400円、小中学生700円、幼児350円 
駐車場  :隣に県営駐車場有(有料)

2011/04/24(日) 11:30 | trackback(0) | comment(5)

復旧の日まで (11) 【一応完全復旧】

カテゴリー: 3.11震災関連

 4月7日の大余震の影響で停電断水を食らってしまいましたが、幸い停電は翌日には復旧しました。断水は週末まで続き、再び、自衛隊の給水に頼ります。トイレの水も以前はの水で事足りたのですが、どうも地震でどこかにヒビが入ったらしく、水位の低下が目立つので排水して乾かしている最中でした。そこで、庭の雨水溜桝や食器を洗った後の水も掻き集めてトイレの水を確保しました。やっぱり断水が一番キツイなぁ。




 断水の最中ではありますが、本日は給湯器のメーカーさんが修理に来る日です。
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 明らかに壊れている部品は交換して頂いたのですが、いかんせん、断水中のためにテストができません。水道が復旧したら再度点検となりました。また、風呂は遠のいてしまいました。




 ところが、その日の夕方、家の前の消化栓から水が噴き出しているではありませんか。
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 駆け付けた水道関係者によりますと、現在、テスト送水中とか。それにしても、水が勿体ないなぁ。




 もしかしたらと風呂の蛇口を開けると水がジャーッ。やったーと思ったら、この濁り。とりあえず、1週間分のトイレ用水を確保。
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 翌日見たら、ギョッとするような沈殿物。鉄錆なのか、破裂した箇所から入ってきた泥なのか。いずれにしろ飲まなくてよかった。




 テスト送水の翌朝も蛇口から水が出ます。水もだいぶ濁りが取れたので、試しに給湯器に送水してみると。。。。
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昨日、修理した内部ではなく、外部のパイプのコネクター辺りから水が噴き出しました。これは水抜きバルブが緩んだらしく、締め上げると一応治まりましたが、他にも損傷がある危険性が高いので再度、メーカーの方に見てもらいましょう。それにしても、水道が復旧したのか、まだ、テスト中なのかさっぱり広報がありません。





 コールしますとすぐに対応してくれまして、3月11日の地震以来、一カ月ぶりに我が家の風呂は蘇りました。
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 久々の風呂、のぼせるまで長湯を楽しみました。水道も水が澄んですっかり復旧しましたが、風呂のお湯は洗濯やトイレにと有効利用します。そういえば、室内の鉢植えにもずいぶん辛い思いをさせました。残り湯ですが、冷めたら思いっきり水やりをしてあげましょう。



 かくして、我が家のライフライン風呂は完全に復活したのですが、先日の余震のようにいつまた、儚く崩れ去るかわかりません。記事にも書いてきましたように、最低限の備蓄は絶対必要です。



    飲料水(長期保存可能なペットボトル2L×人数)
   ポリタンク
ビニールバッグ(10リットル)  
   
カートリッジガスコンロ(予備ボンベ6本)
    ラジオ・懐中電灯(予備電池)
    ロウソク(ライター)


 は備蓄して置きましょう。食料冷凍庫が埋まっていれば、数日は何とかなります。それに茹で時間が短い素麺があると便利です。巨大地震の大きな余震は数カ月後にもやってくる可能性があります。4月7日と11日にもありましたように、マグニチュード7以上の余震はまだ何回かは来るでしょう。喉元過ぎて熱さを忘れないように今回の教訓を肝に銘じましょう。 







【追記;復旧までの記録】

 3月11日14:46      東京霞が関で会議中に地震。ビルから退去。
             日比谷公園をうろついた後、帝国ホテルに
             身を寄せる。水とパンの配給を受ける。
             廊下で雑魚寝。
              後にこの地震は三陸沖を震源とするM9.0
                          最大震度7の巨大地震であったことを知る。
             東北地方太平洋沖地震と命名された。 
              


 3月12日      東北新幹線の復旧見込みが立たず、都内の
             交通事情も怪しいので新橋のホテルに投宿。
            津波による故郷の悲惨な状況が次々と伝わっ
            てくる。居ても立ってもいられない。 

 3月13日      ネットで上越新幹線は動くことを知り、日本海
            経由で帰る計画を立てる。決行は明日朝。
            都内交通が復帰したので、子供たちの下宿で
            一家全員が合流(妻は介護のため上京中)。
            子供にバッグを借りて、食料や蝋燭などを購入。  

 3月14日      朝6時に練馬区を出るが、計画停電の影響で
            ダイヤが乱れ大混雑。なんとか、東京駅へ。
            その後、順調で新潟、鶴岡(羽越本線)、山形
            (バス)、仙台(バス)と乗り継いで帰仙。
            20時頃、自宅に着くが、辺りは真っ暗で家の
            中は滅茶苦茶。多くの食器を失う。
             

 3月15日      職場までは道路事情が悪く、出勤できないので
            自宅近くの関連機関で被害調査に加わる。ガソ
            リンも供給が先になるので車での行動も控える。

            その後、ライフラインが閉ざされた自宅で冷凍庫
            の食品と東京から持参した保存食で食いつなぐ。
            物置のキャンプ用バーナーやポリタンクも取り出
            して調理していたが、あまりの寒さに貴重な灯油
            で暖を取り、ついでに調理もストーブで行うことに 
            する。明かりは蝋燭と手動発電ライトが活躍。
              

 3月20日      やっと、電気が開通した。調理器具がストーブ
            からホットプレートや炊飯器に移行する。暖房
            もエアコンとなる。冷蔵庫も復帰したが、冷凍
            食品はほぼ食べ尽くした。新鮮な野菜が恋しい。
               
 
 
 3月22日      朝、給湯器から水が噴き出していると隣人の
            知らせがあった。水道が復旧したのだ。でも
            給湯器が壊れた。ガスが送られるまでに直さ
            ないと。

 3月23日      上京中の妻より支援物資が届いた。新鮮な野菜
            が五臓六腑に染み渡った。僅か1日で届いたの
            は東北自動車道が一部開放されたからだろう。  
                               

                                     この頃より、近所のスーパーが夕方の営業も
            始める。品数も少なく値段も高いが、仕事帰りに
            買えるので有難い。

 3月25日       深夜から雪、かなり冷え込む。また、しばらく
            暖房と調理はストーブに戻りそう。灯油はあと
            半缶ほどだが、相変わらずGSには、長蛇の
            列。とても並んでいる暇がない。ガソリンや灯油
            はいつになったら、安定供給されるのだろう。

 3月28日       早朝からGSに並んで、やっとガソリンを買う
            ことができた。162円/Lだったが、これはまだ
            マシ。中には190円台の店もあるという。価格
            設定の根拠は一体何だろう。

 3月29~31日    義父が他界したため、緊急に車で上京する。
            自動車道も東京も給油制限がある店もあるが、
            すんなりとガソリンを入れられる。通行料金は
            かかるが、最寄りのSA・PAはお薦め。
             ただ、自動車道は凸凹で運転注意。トラック、
            タンクローリー、自衛隊の車で左側車線は塞が
            り気味。

 4月 1日       新年度が始まるが、人事異動は当面凍結。
            職場の復旧には何カ月もかかり、仕事も宮城
            の復興が第一となる。持てる技術と知識をフル
            に使って貢献したい。

 4月 4日       本日から周辺部のGSが一斉に通常営業
            を開始。途端に行列が消え失せた。今までの
            買い急ぎは一体なんだったのだ。

 4月 5日       本日、やっとガスが開栓した。これで我が家
            のライフラインは完全復帰なのだが、給湯器が
            凍結により故障中なので、お風呂はまだまだ、
            先になる見込み。今晩もウエットティッシュで体
            を拭いて寝る。
              
          
 4月 7日       就寝直後(23時32分頃)に大きな余震が
            やって来た。宮城県沖が震源でM7.1、最大
            震度6強。普通なら本震級でしょう。津波警報
            も発令され、翌1時過ぎまでサイレンが鳴り響
            いた。片付けた食器棚も本棚も本震直後と同
            じになり、只々落胆。(涙) 

  4月 8日       やっと戻ってきた電気も水道もまた取り上げ
            られた。一気に震災直後の生活レベルに戻る。
            ガスはかろうじて維持していたのが唯一の救い。
            再びローソクで照らし、ラジオを聞きながらの
            夕食。貯水用のポリタンクもまた出した。
            (ブレーカーを落としていたので気付かなかった
            が、電気は夜に復旧したらしい。)
              


 4月 9日       本日、給湯器のメーカーの方が修理に来て
            くれた。ところが、一昨日の余震により、水道が
            止まったままなので、作動確認ができない。全く
            ついていない。それより、水を貰いに行かねば。

             夕方、道路の消火栓から水が噴き出していた。
            駆けつけた関係者によると、テスト送水を行っ
            ているらしい。風呂桶に流してみたら酷い濁り。
            それでも、トイレ用に少し溜める。

             給湯器にも送水すると修理した箇所以外の所
            から水が噴き出した。再度、来てもらうことに
            する。(悲) 

 4月10日       水道水が澄んできたので、再度、給湯器を
            点検。水が吹き出したバルブを閉じ、内部を
            調べた結果、異常なし。本日より風呂が使える。
            一応完全復旧。   
                             

 4月11日       17時16分ごろに福島県浜通りを震源とする
            M7.0、震度6弱の余震が発生。津波注意報が
            発令されたが、1時間後に解除。我が家に被害
            なし。その後、小さな余震がやたら多くなる。
 
 4月12日       今日も福島と茨城で最大震度6弱の地震が
            起きた。相変わらず、小さな余震は一日中続
            いている。これは一年以上続くとも言われてい
            る。福島第一原発もやっと最悪のレベル7で
            あったことを認める。世界から認識の遅さを
            指摘される。 



2011/04/15(金) 05:00 | trackback(0) | comment(4)

復旧の日まで (10) 【余震で再び耐久生活】

カテゴリー: 3.11震災関連

 4月7日23時32分、床に就いて寝入った頃に揺れを感じて目が覚めました。初期微動の様相からこれは大物だなと思った途端、また、あのガガガガガンとシェイクされるような激しい振動が始まり、ガチャガチャンと食器の割れる音や二階の本棚が倒れる音が暗闇に響き渡ります。身の危険もさることながら、折角片付けたのに、またかよという落胆も同時に感じていました。揺れが治まってから、照明を点けようとすると、予想通りの停電。懐中電灯でキッチンと二階を偵察しましたが、3月11日の本震より散乱の仕方が酷いかも知れません。幸い、津波警報は1時間半ほどで解除されましたが、その間、けたたましいサイレンが鳴り響いていました。




 案の定、二階の荒れ方は凄まじく、本震以来少しずつではありますが、書籍を元のように積み込んできた努力が水の泡となりました。壁に掛けてあった愛竿も棒切れのように散乱しています。
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 キッチンの食器棚は前回、落ちるものが落ちて割れ尽くしましたので、今回はバケツ半分くらいの欠片で済みました。大地震の場合、余震は数カ月から数年も続くとも言われます。実際、スマトラ沖地震のように何年も余震や関連地震が続いた例もあります。だからと言って、何カ月も部屋をこのままにしておくのは精神衛生上もよくありません。さらに頑丈な突っ張り棒を買ってから、再びコツコツと積み上げていきましょう。




 とりあえず、キッチンのガラス片を掃除して、雑巾を濡らそうと水道のレバーを倒すと、、、なんと断水しているではありませんか。停電断水の合わせ技です。勘弁してほしいなぁ。
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 物置に戻した緊急用の備蓄水を再び、引っ張り出してきました。2リットル×4本ありますので当座は何とかなります。それにしてもやっと解放されたの配給、また、行列に並ばなければなりません。ライフラインが完全復旧したのも束の間、再び元の耐久生活に逆戻りです。これは精神的にも辛いですね。今後も大きな余震が来るたびに覚悟しなければならないのでしょうね。


 では、水道の本管が破裂したらしく、復旧には1カ月かかるそうです。風呂はまた、先送りになりそうです。ただ、こういう時には実(まこと)しやかなガセ情報が流れるものなので、市町や水道事業所などの広報以外は信じない方がよいでしょう。





 また、夜の友=震災メモリアルの登場です。
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 割れてしまった愛用のマグカップを利用したキャンドルスタンドです。なんだか戦友のようで愛着を感じます。



 
  
 不幸中の幸いは都市ガスが使えたことです。
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 あまり水を使わない料理で凌ぎましょう。これでガスも絶たれたら、落胆もかなり大きかったでしょうね。





 停電になると一番厄介なのでは冷蔵庫内の食品です。先月よりぐっと気温も高くなってますので悪くなりやすい物から追われるように食べていきます。
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 今晩は解凍してしまった豚小間と野菜で肉野菜炒めとレタスとオクラのサラダです。フライパンから直接食べるのは行儀が悪いのですが、洗い物対策だけではなく、料理が冷めにくくて都合が良いのです。温くなったKIRINのどごし生も飲んでしまいます。ライトに付いたラジオで原発の情報を聞きつつ、また、暗闇での夕食です。それにしても、「ただちに健康に影響がある数値ではない。」というのは、一体どれくらい居れば、影響があるのでしょうか。結局、避難範囲を徐々に広げて、最後にはチェルノブイリ並のレベル7だったことが発表されました。




 

 4月5日には地震から25日ぶりで電気・ガス・水道の全てのライフラインが復旧し、これで給湯器が直れば、風呂にも入れるところまでやって来たのに、4月7日の本震並みの余震でまた、耐久性生活に逆戻り。今度は一体いつまで続くのでしょう。余震以来、こうしてキーを叩いていても、僅かな揺れを感じることが多くなりました。やはり、小さな余震も頻発しているのでしょうか。すぐに、高感度地震観測網のサイトで確認するのですが、観測されていないことの方が多いのです。地震酔い(後揺れ症候群)になってしまったのでしょうか。でも、天井や壁もミシッと音を立てたりするのですが・・・。 



2011/04/13(水) 05:00 | trackback(0) | comment(6)