復旧の日まで (11) 【一応完全復旧】
カテゴリー: 3.11震災関連
4月7日の大余震の影響で停電と断水を食らってしまいましたが、幸い停電は翌日には復旧しました。断水は週末まで続き、再び、自衛隊の給水に頼ります。トイレの水も以前は池の水で事足りたのですが、どうも地震でどこかにヒビが入ったらしく、水位の低下が目立つので排水して乾かしている最中でした。そこで、庭の雨水溜桝や食器を洗った後の水も掻き集めてトイレの水を確保しました。やっぱり断水が一番キツイなぁ。
断水の最中ではありますが、本日は給湯器のメーカーさんが修理に来る日です。
明らかに壊れている部品は交換して頂いたのですが、いかんせん、断水中のためにテストができません。水道が復旧したら再度点検となりました。また、風呂は遠のいてしまいました。
ところが、その日の夕方、家の前の消化栓から水が噴き出しているではありませんか。
駆け付けた水道関係者によりますと、現在、テスト送水中とか。それにしても、水が勿体ないなぁ。
もしかしたらと風呂の蛇口を開けると水がジャーッ。やったーと思ったら、この濁り。とりあえず、1週間分のトイレ用水を確保。
翌日見たら、ギョッとするような沈殿物。鉄錆なのか、破裂した箇所から入ってきた泥なのか。いずれにしろ飲まなくてよかった。
テスト送水の翌朝も蛇口から水が出ます。水もだいぶ濁りが取れたので、試しに給湯器に送水してみると。。。。
昨日、修理した内部ではなく、外部のパイプのコネクター辺りから水が噴き出しました。これは水抜きバルブが緩んだらしく、締め上げると一応治まりましたが、他にも損傷がある危険性が高いので再度、メーカーの方に見てもらいましょう。それにしても、水道が復旧したのか、まだ、テスト中なのかさっぱり広報がありません。
コールしますとすぐに対応してくれまして、3月11日の地震以来、一カ月ぶりに我が家の風呂は蘇りました。
久々の風呂、のぼせるまで長湯を楽しみました。水道も水が澄んですっかり復旧しましたが、風呂のお湯は洗濯やトイレにと有効利用します。そういえば、室内の鉢植えにもずいぶん辛い思いをさせました。残り湯ですが、冷めたら思いっきり水やりをしてあげましょう。
かくして、我が家のライフラインと風呂は完全に復活したのですが、先日の余震のようにいつまた、儚く崩れ去るかわかりません。記事にも書いてきましたように、最低限の備蓄は絶対必要です。
飲料水(長期保存可能なペットボトル2L×人数)
ポリタンクかビニールバッグ(10リットル)
カートリッジガスコンロ(予備ボンベ6本)
ラジオ・懐中電灯(予備電池)
ロウソク(ライター)
は備蓄して置きましょう。食料は冷凍庫が埋まっていれば、数日は何とかなります。それに茹で時間が短い素麺があると便利です。巨大地震の大きな余震は数カ月後にもやってくる可能性があります。4月7日と11日にもありましたように、マグニチュード7以上の余震はまだ何回かは来るでしょう。喉元過ぎて熱さを忘れないように今回の教訓を肝に銘じましょう。
【追記;復旧までの記録】
3月11日14:46 東京霞が関で会議中に地震。ビルから退去。
日比谷公園をうろついた後、帝国ホテルに
身を寄せる。水とパンの配給を受ける。
廊下で雑魚寝。
後にこの地震は三陸沖を震源とするM9.0
最大震度7の巨大地震であったことを知る。
東北地方太平洋沖地震と命名された。
3月12日 東北新幹線の復旧見込みが立たず、都内の
交通事情も怪しいので新橋のホテルに投宿。
津波による故郷の悲惨な状況が次々と伝わっ
てくる。居ても立ってもいられない。
3月13日 ネットで上越新幹線は動くことを知り、日本海
経由で帰る計画を立てる。決行は明日朝。
都内交通が復帰したので、子供たちの下宿で
一家全員が合流(妻は介護のため上京中)。
子供にバッグを借りて、食料や蝋燭などを購入。
3月14日 朝6時に練馬区を出るが、計画停電の影響で
ダイヤが乱れ大混雑。なんとか、東京駅へ。
その後、順調で新潟、鶴岡(羽越本線)、山形
(バス)、仙台(バス)と乗り継いで帰仙。
20時頃、自宅に着くが、辺りは真っ暗で家の
中は滅茶苦茶。多くの食器を失う。
3月15日 職場までは道路事情が悪く、出勤できないので
自宅近くの関連機関で被害調査に加わる。ガソ
リンも供給が先になるので車での行動も控える。
その後、ライフラインが閉ざされた自宅で冷凍庫
の食品と東京から持参した保存食で食いつなぐ。
物置のキャンプ用バーナーやポリタンクも取り出
して調理していたが、あまりの寒さに貴重な灯油
で暖を取り、ついでに調理もストーブで行うことに
する。明かりは蝋燭と手動発電ライトが活躍。
3月20日 やっと、電気が開通した。調理器具がストーブ
からホットプレートや炊飯器に移行する。暖房
もエアコンとなる。冷蔵庫も復帰したが、冷凍
食品はほぼ食べ尽くした。新鮮な野菜が恋しい。
3月22日 朝、給湯器から水が噴き出していると隣人の
知らせがあった。水道が復旧したのだ。でも
給湯器が壊れた。ガスが送られるまでに直さ
ないと。
3月23日 上京中の妻より支援物資が届いた。新鮮な野菜
が五臓六腑に染み渡った。僅か1日で届いたの
は東北自動車道が一部開放されたからだろう。
この頃より、近所のスーパーが夕方の営業も
始める。品数も少なく値段も高いが、仕事帰りに
買えるので有難い。
3月25日 深夜から雪、かなり冷え込む。また、しばらく
暖房と調理はストーブに戻りそう。灯油はあと
半缶ほどだが、相変わらずGSには、長蛇の
列。とても並んでいる暇がない。ガソリンや灯油
はいつになったら、安定供給されるのだろう。
3月28日 早朝からGSに並んで、やっとガソリンを買う
ことができた。162円/Lだったが、これはまだ
マシ。中には190円台の店もあるという。価格
設定の根拠は一体何だろう。
3月29~31日 義父が他界したため、緊急に車で上京する。
自動車道も東京も給油制限がある店もあるが、
すんなりとガソリンを入れられる。通行料金は
かかるが、最寄りのSA・PAはお薦め。
ただ、自動車道は凸凹で運転注意。トラック、
タンクローリー、自衛隊の車で左側車線は塞が
り気味。
4月 1日 新年度が始まるが、人事異動は当面凍結。
職場の復旧には何カ月もかかり、仕事も宮城
の復興が第一となる。持てる技術と知識をフル
に使って貢献したい。
4月 4日 本日から周辺部のGSが一斉に通常営業
を開始。途端に行列が消え失せた。今までの
買い急ぎは一体なんだったのだ。
4月 5日 本日、やっとガスが開栓した。これで我が家
のライフラインは完全復帰なのだが、給湯器が
凍結により故障中なので、お風呂はまだまだ、
先になる見込み。今晩もウエットティッシュで体
を拭いて寝る。
4月 7日 就寝直後(23時32分頃)に大きな余震が
やって来た。宮城県沖が震源でM7.1、最大
震度6強。普通なら本震級でしょう。津波警報
も発令され、翌1時過ぎまでサイレンが鳴り響
いた。片付けた食器棚も本棚も本震直後と同
じになり、只々落胆。(涙)
4月 8日 やっと戻ってきた電気も水道もまた取り上げ
られた。一気に震災直後の生活レベルに戻る。
ガスはかろうじて維持していたのが唯一の救い。
再びローソクで照らし、ラジオを聞きながらの
夕食。貯水用のポリタンクもまた出した。
(ブレーカーを落としていたので気付かなかった
が、電気は夜に復旧したらしい。)
4月 9日 本日、給湯器のメーカーの方が修理に来て
くれた。ところが、一昨日の余震により、水道が
止まったままなので、作動確認ができない。全く
ついていない。それより、水を貰いに行かねば。
夕方、道路の消火栓から水が噴き出していた。
駆けつけた関係者によると、テスト送水を行っ
ているらしい。風呂桶に流してみたら酷い濁り。
それでも、トイレ用に少し溜める。
給湯器にも送水すると修理した箇所以外の所
から水が噴き出した。再度、来てもらうことに
する。(悲)
4月10日 水道水が澄んできたので、再度、給湯器を
点検。水が吹き出したバルブを閉じ、内部を
調べた結果、異常なし。本日より風呂が使える。
一応完全復旧。
4月11日 17時16分ごろに福島県浜通りを震源とする
M7.0、震度6弱の余震が発生。津波注意報が
発令されたが、1時間後に解除。我が家に被害
なし。その後、小さな余震がやたら多くなる。
4月12日 今日も福島と茨城で最大震度6弱の地震が
起きた。相変わらず、小さな余震は一日中続
いている。これは一年以上続くとも言われてい
る。福島第一原発もやっと最悪のレベル7で
あったことを認める。世界から認識の遅さを
指摘される。
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